煩悩ラプソディ
第43章 双星プロローグ/AN
いつもの満員電車。
いつものドア傍。
ガタゴトと揺れる度にぎゅうっと圧し掛かる重みは否めないけれど。
後ろから守るように密着する体温に身を任せる。
時折来る予測しない振動にも動じない安心感がここにはあるから。
あの日。
雅紀は自転車を押しながら、ゆっくりと俺の歩くスピードに合わせてくれた。
鼻の頭を赤くしながら"なんか興奮して暑くなっちゃったから"と、着ていたダウンを俺に寄越し。
ずずっと鼻を啜って笑うその顔に、曇りのない気持ちで笑い返す俺がいて。
想いが伝わった途端、頭と心にこびりついていた頑固な汚れがきれいさっぱり洗い流されたような感覚。
そんな清々しささえ覚える気持ちのまま、つい素直に口に出してしまったこと。
『えっ、触られたの…?』
『ぁ…いや、俺も油断してたっていうか…』
言わないでおこうと思ったのに、雅紀が"そういえばなんで二駅も前で降りたの?"なんて聞いてくるもんだから。
ぽつぽつと話せばみるみる内に眉間に皺が寄っていき。
そうかと思えば眉を下げて心底悲しそうな顔をして。
『…ごめん』
『え?』
『守ってやれなくてごめん…』
ついには足を止めてその場に立ち止まってしまい。
誰も通っていないとはいえ道路の真ん中で立ち尽くされ困惑していると。
ふいに。
そう、ほんとにふいだった。
顔を覗き込もうとしたと同時に押し当てるようなキスをされて。
『んっ…!』
『…ごめんね、かずくん。もう絶対泣かせたりなんかしないから』
"誓いのキスだから"って大真面目な顔で言われて顔から火が出るかと思った。
よくもそんな恥ずかしいこと言えるなってその時は思っていたけど。
よくよく考えれば俺だって"ちゃんと守れよ"なんて恥ずかしい台詞吐いてたわ。
そんなことを思い出してふふっと笑みを溢せば、背後の気配が近付いて。
「…なに笑ってんの?」
見上げた先には、ドア窓から差し込む朝陽に照らされ口角を上げて柔らかく微笑む雅紀の顔。
「…ん、お前の顔がおかしくて」
「くふっ、失礼な」
こそこそと笑い合う空間。
散々嫌で仕方がなかった通学も、今では俺にとっての特別な時間。
いや…
俺と、雅紀にとって。