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例えばこんな日常

第29章 オペ室の悪魔と病室の天使/AN






目下に横たわる渡海を見下ろしながら世良は胸の高鳴りを抑えられないでいた。
差し込む陽光に照らされた頬は青白くも見える程に透き通っている。


まるで人形のように微動だにしないその姿。
暴言を吐く口も眼光鋭い瞳も固く閉ざされていればこんなにも可愛らしいというのに。
やっぱり悪魔も人の子なのかと世良はぼんやりとそう思った。


それはそうとこんなにじっくりと渡海を観賞している暇などない。
一刻も早くチャンスをものにしなければ渡海が起きてしまう。
ついでにカンファレンスにも間に合わないなんてことになれば、この先医師への道が閉ざされてしまうかもしれないのだ。


ふうっと息を吐き、その柔らかそうな頬へと指を近付ける。
世良の指は僅かに震えていた。
初めて渡海に人工血管の縫合をやれと言い渡された時よりも緊張している。


そっと伸ばした指の先に触れた感触。
その程良い弾力と滑らかさはとても男のものとは思えない。


なんだこれ…
マジかよ…!


世良は再び興奮を隠しきれないでいた。
と同時にこんなに微動だにしない渡海を前に、欲求ばかりが沸々と湧き出てくるのを自覚して。


渡海先生っ…


心臓が激しく波打つ。
この先に踏み込んではいけないと頭では分かっていても、今の世良には選択肢は一つしかなかった。


ソファの背面で腰を折り、更に渡海へと近付く。
上下する胸元と白い首が視界に入ると思わずゴクッと息を呑んだ。


顔を傾けながら慎重にその薄い唇に近付いた時。


世良の胸元からブーブーとバイブ音が響いた。
驚いたその拍子に思わず背面に掛けていた手を滑らせてしまい。


ガツンと渡海の顔面に顔を突っ込んでしまった。


「うっ…!」


下敷きになった渡海から呻き声が聞こえたと同時に世良の脳裏に過ぎったのは"終わった"という言葉。
もちろんそれは、世良の渡海への感情に終止符を打たざるを得ないことと同時に人間生活の終わりすらも意味する。


「だっ…すっ、すみませんっ!申し訳ありませんっ!」


ソファの反対側にすぐさま回り込んだ世良は額をぶつけるように土下座をした。
しばらくの間の後、頭の先でギシっと軋む音がしたのを合図に世良は握っていた拳にギュッと力を込めた。

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