例えばこんな日常
第29章 オペ室の悪魔と病室の天使/AN
意気消沈する世良にお構いなく渡海は作業の様に食事を進めていく。
渡海にとっての食事とは謂わば生存していく為だけにあり、TKG専用醤油などと言った味覚に彩りを添える調味料は必要無いのである。
そんな渡海に無念の溜息を溢した世良は、もう一つ大切な伝達事項を思い出しタブレットをスワイプしながら口を開いた。
「あの渡海先生、明日から入院される相葉雅紀さんですが…」
「ゴホォッ!」
「えっ?ちょ、渡海先生っ!」
タブレットに視線を落としていた世良の耳に盛大に咳き込んだ渡海の苦しそうな声が届く。
突然の事に慌てた世良は渡海の背を摩りながら紙コップに注いでいたお茶を差し出した。
「と、渡海先生…大丈夫ですか?」
「ゴホゴホッ…!いい、触んな…ゴホォ!」
「ちょ、全然大丈夫じゃな」
「ゴホゴホゲホォッ!」
「せんせ…」
「………で?」
「いや泣いてるじゃないですか!」
「もううるさいお前…で、その患者が?」
未だ肩で息をする渡海の涙に濡れた瞳に見つめられ、世良は胸の奥がキュンと締め付けられた。
普段の冷徹で飄々とした表情とは打って変わり、目元を赤く染めゆらゆらと揺れるその瞳を見ていると思わず抱き締めたい衝動に駆られてしまう。
どんなに冷たい態度であしらわれようと、どんなにこの想いが成就する可能性が低かろうと。
年相応とはとても思えぬ風貌と相反するその性悪な気質に、世良はすっかり心を奪われていた。
時に見せる守ってあげたくなるような表情や仕草のギャップに世良の思考回路はまたもショート寸前だ。
「…おい」
「…はっ!はい!」
「貸せ、それ」
潤ませた瞳を怪訝そうに顰めながら、動かない世良の手元からタブレットを奪い取る渡海。
視線を落としたまま静かに画面を辿る指。
その横顔は未だ眉間に皺を寄せた険しいもので。
そんな渡海に尻込みしつつ、世良はこの患者への疑問を思い切って訊ねてみた。
「あの…この相葉さんなんですが、ご本人のたっての希望で担当を渡海先生にと…」
「……」
「あの…相葉さんとはどういう、」
「断る」
「え?」
「この患者は診ない。お前がやれ」
「えっ?どうして…」
「やれよ」
ギロリと世良を睨んだ後タブレットを突き返した渡海は、何食わぬ顔で茶碗に残った卵かけご飯を掻き込んだのだった。