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不透明な男

第12章 惑乱


翔の気配はしなかった。

心配だから先に帰ってと翔を車に押し込んだ。
仕方ないなと言うように翔は車窓から顔を出し、苦笑いをすると車を発進させた。
その走る車を見えなくなるまで見送ってから、俺はタクシーに乗り込んだんだ。

それで、ここに来た。


まだ昼過ぎという事もあって、ここは明るかった。
よく晴れているし、水面はキラキラと眩しい程に光を反射している。

一見すると綺麗なその水面は、少し陰を覗くとまるで違う景色を見せた。

波打ち際には木材や煙草の吸殻等、大小様々なゴミが溜まっていたんだ。



智「なんだ、結局汚いんじゃん…」



古い倉庫の建ち並ぶ埠頭には、まだ昼間だと言うのに俺しかいなかった。

廃れているし、荒んでいる。

そんな空気が、この場所にはあった。



あの時見たこの海は黒かった。

夜だったし真っ暗だった。

青年を追うように海に落ちた俺は、天も地も分からずに只もがいた。

青年を救う事も出来ずに、只、もがいただけだった。


今はキラキラと眩い水面も、あの時は凄く怖いものに見えた。

真っ暗で、渦を巻いていて。

あっという間に青年を呑み込んだ。


その時に見たあの男の瞳も同じだった。

真っ黒の瞳に渦が写り、俺はその渦に呑まれそうだった。



智「ごめんね…」



ここに来るのはあの時以来だった。
もう8年も前の話だ。

誰にも手を合わせて貰うことも無く、今もこの暗闇の底で眠っているんだろうか。

そりゃそうだ。

誰も救ってなんてくれないんだ。

ずっとひとりで、ここで眠っていたんだ。



智「言うこと聞かなくてごめんね」


その水面に向かって俺は話す。


智「でも、許して?」


もう聞くことなんて出来ないと分かってはいても。


智「おれだって、こんな中途半端は嫌なんだ」


どうしても彼には伝えたかったんだ。


智「ちゃんと分からないと、ちゃんと終われないからさ」


許してくれないかもしれないけどさ。


智「…もう、心配しなくて大丈夫だから」


こんな事言うと、また心配するんだろうなと胸がきゅっとした。


智「ふふ、おれ、もう子供じゃないんだよ?」



だから許して?

おれに、勇気を与えてよ





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