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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第1章 落城~悲運の兄妹~

 涙の別離  

 はるか遠くから潮騒のように怒号が響いてくる。あれは、この城を取り巻く敵方の兵の勝ち鬨(どき)であろうか。千寿(せんじゆ)丸(まる)はそっと眼を伏せ、腕に抱いた妹の頭を撫でた。可哀想に、妹の華奢な身体はずっと震えっ放しだ。
 と、ひときわ大きな鬨の声が上がり、それは森閑とした夜の闇をつんざく雷鳴のごとく響き渡った。妹の万寿(ます)姫がひしと千寿に縋りつく。兄の胸に頬を押し当てて震える妹を哀れにも思い、千寿丸は万寿姫を抱く手にいっそう力を込めた。
 天守の内にはもう、城主一族以外には誰もいない。最後まで付き従っていた忠義の者たちも一刻ほど前にひそかに城を落ち延びていった。千寿丸が生誕の砌からずっと側近く仕えてくれた乳母の松波、それに若い侍女の葉月、二人ともに死出の旅路にも伴をと申し出てくれた。
 だが、千寿の父長戸(ながと)通(みち)親(ちか)は二人に諄々と諭した。もし長戸家にいささかなりとも恩義を感じるのであれば、みすみすここで生命を落とし犬死にすることを良しとせず、生き延びて己が天命をまっとうして欲しい、と。主人の言葉に二人は涙ながらに頷き、幾度も気遣わしげに振り返りながら、城を落ちていったのだ。
 通親の言葉は道理であった。敵方の大将木檜(こぐれ)嘉瑛(よしてる)の狙いは長戸家に連なる一族―しかも、この白鳥城の城主通親直系の血を受け継ぐ者だけなのだ。が、ひとたび敵の兵に囚われの身とならば、たかが敵方の女というだけで、どのような目に遭うかは知れたものではない。戦で敗れた国の女たちは大抵は捕虜となり、敵方の兵たちの慰みものにされるのが相場であった。
 殊に既に四十路に入った松波はともかく、まだ十八と若い葉月は敵兵たちにとっては格好の獲物となるに相違ない。
 松波は千寿にとっては、生母勝子よりもある意味では近しい人であった。勝子は、兄の千寿よりは専ら妹の万寿姫の養育にかかりきりであったからだ。妹は生来、身体が弱く、床に伏しがちであった。その松波との別れは辛かったけれど、父の言うとおり、松波のためを思うならば、ここで別れた方が良いことは判っている。
―若君さま、どうか、くれぐれもお達者でお過ごし下さいませ。松波はどこにおりましても、若君さまのご無事を心よりお祈りしておりまする。

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