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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第2章 流転~身代わりの妻~

 まるで、地の底を這うような声だ。
 千寿が抵抗を止めたのに満足したように、嘉瑛が笑顔になる。
「判れば良いのだ。俺はそなたが気に入っている。できれば、痛い想いはさせとうはないからの」
 表情が変わると、声までもが変わる。
 しかし、この男は千寿の一体、何をどう気に入ったというのだろう。つい二日前までは、飼い犬のごとき扱いをしていたというのに。
 千寿を軽々と抱えた嘉瑛は、華奢な身体をそっと褥に横たえた。
「可愛い奴め」
 首筋に降るような口づけが落ちてくる。
 千寿は、あまりのおぞましさに顔を背けた。
 千寿のささやかな反抗が癇に障ったのか、嘉瑛が千寿の顔を両手で挟んだ。強引に仰向けると、顔を寄せてくる。
 唇を吸われ、千寿は泣き出したくなった。
 嘉瑛が千寿の唇を開かせようと、舌で押し入ってくる。頑なに拒んでいても、強引に押し入れられ、ぬめりとした舌で口の中を探られてゆく。歯茎を丹念になぞり、ついには男の舌が千寿の舌に絡みついた。
「―!!」
 千寿の瞳に大粒の涙が溢れた。
―どうして、自分はこんな辱めを受けねばならないのか。同じ男に、しかも父母や妹を殺した憎い敵に何故―。
 逃げようとしても、嘉瑛の舌は執拗に追いかけてくる。さんざん口の中を蹂躙された挙げ句、漸く男の貌が離れた。
 嘉瑛の手が前結びになった夜着の帯に掛かった。シュルシュルと妖しい音を立てて帯が解けてゆく。その音を聞いている中に、千寿の中の嘉瑛への恐怖と嫌悪が頂点に達した。
「いやだ、いやだーっ」
 千寿は首を振りながら、錦の褥から這い出た。
 たとえ殺されたって、厭なものは厭だ。
 こんな男に良いようにされてしまうのだけは、厭だ。
「待て、待たぬか」
 嘉瑛の声が追いかけてきたが、千寿は泣きながら寝所の襖を開けた。辛うじて通り抜けるほど空いた空間から、身をすべらせる。
 嘉瑛に背後から手を摑まれるも、すぐにふりほどく。何か武器になりそうなものを探しても、哀しいくらい何もない。
 その時、千寿の眼に映じたのは、ふた色の花―妹や母が愛した海芋の花であった。

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