龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第2章 流転~身代わりの妻~
千寿は呟きながら、後ずさった。
「いやだ、私は厭だ」
怖かった、この男が無性に怖かった。嘉瑛に対して、ここまでの恐怖を感じたことはなかったのに。
寒くもないのに、身体が戦慄く。両手で自分の身体をかき抱いた。
「どうした、怖いのか? 大丈夫だ。そなたが初めてなのは判っている。優しくしてやるから、怖がらなくて良い。初めは少し痛いかもしれぬが、直に良い気持ちになれる。明日からは夜が来るのが待ち遠しくてならぬほど、たっぷりと愉しませてやるさ」
「―?」
千寿には、嘉瑛の言葉が全く理解できない。
きょとんとした顔の千寿を見て、嘉瑛がいっそう愉しげに声を上げて笑う。
これが、あの千寿を〝犬〟と蔑みを込めて呼び、打ったり蹴ったりした男と同じとは信じられない。まるで蕩けそうな表情で、千寿を見ている。その別人のような違いが、かえって怖かった。
「本当に可愛いな。千寿は」
嘉瑛がふと笑いをおさめ、真顔になった。
その変わり様も千寿にとってはまた不気味だった。
「さあ、良い加減にむずかるのは止めて、俺の意に従え。悪いようにはせぬ」
伸びてきた手に手首をしっかりと摑まれ、千寿の唇から悲鳴が洩れる。
「や、止めろ。お前の両手は血に染まっている。穢れた手で私に触るな」
千寿は男の手をふりほどこうとする。
「相変わらず威勢が良いことだ」
馬鹿にしたように嘉瑛は鼻を鳴らした。
その間に、いきなり掬い上げるように抱き上げられ、更に悲痛な声を上げた。
「何をするんだ、放せ、放せッ」
千寿は猟師に捉えられた獲物のように、猛然と暴れた。
と、いきなり頬を張られ、千寿は痛みに呻いた。感情を殺した男の瞳の中で、異様に輝く光があった。―それは、狂気の光だ。狂気を宿した粘着質な瞳がじいっと千寿を見下ろしている。
「俺の気が長くはないことは、そちもよく存じておろう。幾らそなたに惚れておるからといって、甘くは見ぬ方が良いぞ? どうしても俺に素直に抱かれぬというのであれば、少々手荒なこともせねばならぬ」
「―」
そのまなざしのあまりの暗さ、声の不気味さに、千寿は息を呑んだ。
「いやだ、私は厭だ」
怖かった、この男が無性に怖かった。嘉瑛に対して、ここまでの恐怖を感じたことはなかったのに。
寒くもないのに、身体が戦慄く。両手で自分の身体をかき抱いた。
「どうした、怖いのか? 大丈夫だ。そなたが初めてなのは判っている。優しくしてやるから、怖がらなくて良い。初めは少し痛いかもしれぬが、直に良い気持ちになれる。明日からは夜が来るのが待ち遠しくてならぬほど、たっぷりと愉しませてやるさ」
「―?」
千寿には、嘉瑛の言葉が全く理解できない。
きょとんとした顔の千寿を見て、嘉瑛がいっそう愉しげに声を上げて笑う。
これが、あの千寿を〝犬〟と蔑みを込めて呼び、打ったり蹴ったりした男と同じとは信じられない。まるで蕩けそうな表情で、千寿を見ている。その別人のような違いが、かえって怖かった。
「本当に可愛いな。千寿は」
嘉瑛がふと笑いをおさめ、真顔になった。
その変わり様も千寿にとってはまた不気味だった。
「さあ、良い加減にむずかるのは止めて、俺の意に従え。悪いようにはせぬ」
伸びてきた手に手首をしっかりと摑まれ、千寿の唇から悲鳴が洩れる。
「や、止めろ。お前の両手は血に染まっている。穢れた手で私に触るな」
千寿は男の手をふりほどこうとする。
「相変わらず威勢が良いことだ」
馬鹿にしたように嘉瑛は鼻を鳴らした。
その間に、いきなり掬い上げるように抱き上げられ、更に悲痛な声を上げた。
「何をするんだ、放せ、放せッ」
千寿は猟師に捉えられた獲物のように、猛然と暴れた。
と、いきなり頬を張られ、千寿は痛みに呻いた。感情を殺した男の瞳の中で、異様に輝く光があった。―それは、狂気の光だ。狂気を宿した粘着質な瞳がじいっと千寿を見下ろしている。
「俺の気が長くはないことは、そちもよく存じておろう。幾らそなたに惚れておるからといって、甘くは見ぬ方が良いぞ? どうしても俺に素直に抱かれぬというのであれば、少々手荒なこともせねばならぬ」
「―」
そのまなざしのあまりの暗さ、声の不気味さに、千寿は息を呑んだ。