
龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第4章 天の虹~龍となった少年~
紙の中で、千寿の描いた海芋の花が揺れていた。
あの時―旅立とうとする千寿を呼び止めた時、自分は一体、何を言おうとしていたのか。
―千寿。
呼びかけたあの先に続く科白を、嘉瑛は恐らく一生、口にする機会はないだろう。
―千寿、俺はお前を愛していた。
嘉瑛は海芋の描かれた紙を細かく破ってゆく。まるで、自らの心を砕くように、慎重な手つきで、ゆっくりと刻をかけて破った。
その時、一陣の風が彼の側を駆け抜けた。
昨夜の嵐の名残のような烈しい風に嬲られるままに、彼はそっと手のひらを掲げる。細かく砕いた紙の断片は突風に舞い、やがて、雪のように踊りながら空へと消えていった。
玄武の国には、死者の亡骸を焼いた骨を細かく砕き、風に乗せて自然に帰すという弔い方があるそうだ。今、自分はまさに、あの少年への想いを自らの手で葬ったことになるのだろう。
これで良い。自分の想いを告げたところで、今更何になろう。かえって、あの少年を苦しめるだけだ。
何も告げずに見送ることが、今の嘉瑛にしてやれるたった一つの千寿への愛の示し方であった。
嘉瑛は、ただひたすら、彼の永遠の恋人が消えていった虹の彼方を見つめていた。
虹のように、すべてのものを遍く照らす情理と分別を備えた戦国武将長戸通(みち)継(つぐ)。彼こそが、幼名千寿丸の成人した姿であった。
故郷へ戻った千寿丸は白鳥の国でひそかに再起を図っていた長戸家の忠臣たちと再会、十六歳で元服、名を直二郎通継と名乗る。更にその翌年、生き残った家臣たちが通継の許に結集、ついに長戸氏再興の旗を挙げ、ここにひとたびは絶えたかに見えた名門が復興した。
この年、通継はかつて白鳥城があった場所に新しい城を再建、以前にもまして優美な白鳥の城が再びその威容を甦らせた。鎧甲に身を固めた通継の凛々しい若武者ぶりを見た家臣たちは、長年の苦労と悲願を思い、落涙したという。
この際、かつて木檜で千寿丸の生命を助けた恩人伊富恒吉が馳せ参じ、通継(千寿丸)の軍に入ったことは言うまでもない。
あの時―旅立とうとする千寿を呼び止めた時、自分は一体、何を言おうとしていたのか。
―千寿。
呼びかけたあの先に続く科白を、嘉瑛は恐らく一生、口にする機会はないだろう。
―千寿、俺はお前を愛していた。
嘉瑛は海芋の描かれた紙を細かく破ってゆく。まるで、自らの心を砕くように、慎重な手つきで、ゆっくりと刻をかけて破った。
その時、一陣の風が彼の側を駆け抜けた。
昨夜の嵐の名残のような烈しい風に嬲られるままに、彼はそっと手のひらを掲げる。細かく砕いた紙の断片は突風に舞い、やがて、雪のように踊りながら空へと消えていった。
玄武の国には、死者の亡骸を焼いた骨を細かく砕き、風に乗せて自然に帰すという弔い方があるそうだ。今、自分はまさに、あの少年への想いを自らの手で葬ったことになるのだろう。
これで良い。自分の想いを告げたところで、今更何になろう。かえって、あの少年を苦しめるだけだ。
何も告げずに見送ることが、今の嘉瑛にしてやれるたった一つの千寿への愛の示し方であった。
嘉瑛は、ただひたすら、彼の永遠の恋人が消えていった虹の彼方を見つめていた。
虹のように、すべてのものを遍く照らす情理と分別を備えた戦国武将長戸通(みち)継(つぐ)。彼こそが、幼名千寿丸の成人した姿であった。
故郷へ戻った千寿丸は白鳥の国でひそかに再起を図っていた長戸家の忠臣たちと再会、十六歳で元服、名を直二郎通継と名乗る。更にその翌年、生き残った家臣たちが通継の許に結集、ついに長戸氏再興の旗を挙げ、ここにひとたびは絶えたかに見えた名門が復興した。
この年、通継はかつて白鳥城があった場所に新しい城を再建、以前にもまして優美な白鳥の城が再びその威容を甦らせた。鎧甲に身を固めた通継の凛々しい若武者ぶりを見た家臣たちは、長年の苦労と悲願を思い、落涙したという。
この際、かつて木檜で千寿丸の生命を助けた恩人伊富恒吉が馳せ参じ、通継(千寿丸)の軍に入ったことは言うまでもない。
