
異彩ノ雫
第31章 intermezzo 朱の幻想 Ⅱ
━━ 鬼の術で念を飛ばした
何やら懐かしうなってな…
朱夏の暖かな声はごく近く
娘の耳をくすぐり聞こえる
姿は見えずとも
その手に触れられる心地して娘は訊ねる
━━ 新しき郷はいかがでしょう?
━━ そう、我らの新しき郷は…
朱夏の声が艶めき語る
━━ 碧い海に囲まれた小さな島
吹く風は胸に甘く
時はゆるりと過ぎてゆく
朝には沖合いに…
━━ 連れていって下さいっ…!
突然に 震える声でさえぎる娘
両の手を強く握り合わせる
鬼の村から戻り 流れた月日は
想いを募らすばかりに過ぎていた
━━ ……すべてを捨てるというのか
沈黙、そして風の鳴く音
朱夏の声は優しく響く
━━ いりませぬ!あなたの他には何も…
娘の心はついに想いを解き放つ
紗幕の如く 月には雲がかかり
闇がひとつ色を増す
今、伽羅の風が吹いた
━━ ………………!
背中越しに回された朱夏の腕が
胸前で組んだ手にかさなり
そのまま娘を抱きしめる
━━ 愚かなことだな、互いに
忘れられぬ同士なら、何故離れたものか…
念ばかりではない 会いに来た
笑顔であるなら黙して帰るはずであった、など
用意された言葉はもはや胸の奥
隠し続けた想いが溢れる
━━ 疾く渡りゆこう、我らが郷へ
明日よりは同じしとねで
同じ夢を見ることができる
頬を染め頷く娘の堅く組んだ手を
なだめるように解いては 指を絡める
━━ 碧、もう離れるな
あおい…初めて呼んだ娘の名
姿を現した月明かりが
ひとつに溶け合うふたりの影を映し出す
(了)
