
異彩ノ雫
第78章 intermezzo 時間旅行
── この小箱をあける時がやってきたのかもしれない…
ええ、きっと、そう
私はこんなに淋しくてならないのだもの
残照が紅に染めたベンチに座る
ひとりの老婦人
黒衣をまとい
銀色のほつれ毛が風に流れる
── ただ一度ですもの
初めて出逢った日…
それとも 初めてのくちづけ
いいえ
海を渡るあなたを見送った日かしら…
茶色の小箱を
愛しげに撫でる手はかすかに震える
── あの日に還りたい
と思ったら開けてごらん、だなんて
それも一生に一度だけ…
彼女は思い出す
時間旅行に連れていってくれる
魔法のオルゴールだと
贈られたのはいつだったか
── 決めました
あなたがプロポーズしてくれた
村のダンスパーティの夜にしましょう
熱に浮かされたような一夜
もう一度あの腕に抱かれ踊りたい
彼女は決然と蓋を開けた
───…………
────…………
─────…………
灯ともし頃に流れるあの夜の あの調べ
箱の底にひそませたカードの見慣れた文字が
ガス灯の明かりに浮かぶ
『永遠に変わらぬ愛をこめて…』
今 ふたりの夜が甦る
胸奥を焼くように嗚咽が込み上げ
調べにとけ合う
いつまでも いつまでも…
(了)
