
異彩ノ雫
第91章 intermezzo 朱の幻想 Ⅴ ~エトランゼ
初めて会ったその人からは
まだ見ぬ異国の匂いがした
長い黒髪と黒い瞳
かすかに褐色をおびた肌は
滑らかに陽に映えていた…
── 爺、あれは、あの女性は誰だ
屋敷の長い廊下ですれ違った朱夏は
気のなさそうな口ぶりで尋ねる
── あのお方は…
父君が仲立ちとなり
隣国へのお輿入れに立ち寄られた姫君です
苦しげな答えに
前夜もれ聞いた
和平の為の謀りごとを思い
朱夏は幼いながら
女性の姿を重ね合わせた
その夜の月は十三夜
庭でのひとり遊びの耳に
かすかな泣き声が忍び入る
そっと近づく朱夏の碧い瞳が
黒曜石の瞳とぶつかり見つめ合う
潤む目の中で揺れる月…
朱夏は思わずその手をとり
夜の中を歩きだしていた
先をゆく影
戸惑いながら従う影
溶け合いながら
白砂の道に浮かび上がる
── ここは俺の他は誰もこない
泣くにはよい場所だ
屋敷の高楼には
いつもの静寂が満ちていた
── あなたも、よく泣きに来るのですね
微かに笑いを含んだ問いかけに
朱夏は頬を膨らませ
窓辺に肘をつき寄りかかる
姫も傍らに膝をおり
ふたり
月明かりに濡れてゆく…
(つづく)
