Best name ~ 追憶 ~
第1章 私の記憶
もちろん私の記憶にはないのだけれど
息子夫婦に、ただの一片も何一つ口出しもしなかった祖父が
たった一度だけ
息子夫婦、つまり私の両親を
正確には息子である私の父を
本気で叱責したことがあるのだとか。
多忙な両親が、まだ歩行も出来ない私を
保育所にあずける、シッターを雇う
家政婦を雇うだなんだと、揉めていた時に
『まだ言葉も発せない我が子を
平気で他人に丸投げしてまで
お前たちは何がそんなに大事なんだ!?
この子より大事なものがあるのか!?』
そう言った上で
『老いぼれた親でも、
まだ生きていてすぐそばにいるんだ。
二人とも仕事が忙しいのなら
頼れるうちは親を頼りなさい。
まだ孫の一人くらいは見れるんだから』
それがきっかけで
私は幼少期のほとんどを祖父のそばで過ごした。
そうは言っても現役の獣医師であった祖父。
のんびりと、それこそマイペースにやっていた
病院かもしれないが、近所では本当に評判で
私はいつも病院をうろちょろしていた。
そして近所の子どもたち
幼なじみのお兄ちゃん・海翔も
おじいちゃんの〃孫〃の一人となって
いつも一緒だった。
そんな〃家族〃に囲まれて育ったから
私は幼少期に寂しかった記憶は全くない。
両親の愛情を受けなかった……などと言っては
酷い冒涜だと思うけれど…
何と言うのだろう、私は
母性というか
家族の温かみや愛情のようなものは
この祖父から
祖父の作ってくれた、あたたかい空間と
その日々からもらった
そして父性は
のちに私の人生に大きく関わってくる
ソウタさんからもらった
そんな風に思う。
くれぐれも誤解のないように
言っておきたいのだけれど
私は決して両親を憎んでたり
キライな訳ではない。
幼い私も
思春期の私も
パパとママが大好きだった。
二人は自慢の
働き者の、カッコいい両親だった。
息子夫婦に、ただの一片も何一つ口出しもしなかった祖父が
たった一度だけ
息子夫婦、つまり私の両親を
正確には息子である私の父を
本気で叱責したことがあるのだとか。
多忙な両親が、まだ歩行も出来ない私を
保育所にあずける、シッターを雇う
家政婦を雇うだなんだと、揉めていた時に
『まだ言葉も発せない我が子を
平気で他人に丸投げしてまで
お前たちは何がそんなに大事なんだ!?
この子より大事なものがあるのか!?』
そう言った上で
『老いぼれた親でも、
まだ生きていてすぐそばにいるんだ。
二人とも仕事が忙しいのなら
頼れるうちは親を頼りなさい。
まだ孫の一人くらいは見れるんだから』
それがきっかけで
私は幼少期のほとんどを祖父のそばで過ごした。
そうは言っても現役の獣医師であった祖父。
のんびりと、それこそマイペースにやっていた
病院かもしれないが、近所では本当に評判で
私はいつも病院をうろちょろしていた。
そして近所の子どもたち
幼なじみのお兄ちゃん・海翔も
おじいちゃんの〃孫〃の一人となって
いつも一緒だった。
そんな〃家族〃に囲まれて育ったから
私は幼少期に寂しかった記憶は全くない。
両親の愛情を受けなかった……などと言っては
酷い冒涜だと思うけれど…
何と言うのだろう、私は
母性というか
家族の温かみや愛情のようなものは
この祖父から
祖父の作ってくれた、あたたかい空間と
その日々からもらった
そして父性は
のちに私の人生に大きく関わってくる
ソウタさんからもらった
そんな風に思う。
くれぐれも誤解のないように
言っておきたいのだけれど
私は決して両親を憎んでたり
キライな訳ではない。
幼い私も
思春期の私も
パパとママが大好きだった。
二人は自慢の
働き者の、カッコいい両親だった。