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僕は君を連れてゆく

第62章 夢の向こう側 MN

玄関に片方だけ反対向きのスニーカーが転がっている。


「帰ってんの?」


少し、大きめの声で部屋のなかにいるだろう
アイツに向けて声をかける。

だけど、返事はなくて。

玄関から続くドアを開けたら、いつもと同じテレビ画面が。

胡座をかいてテレビの前に鎮座する猫背な背中。

忙しなく動くのはコントローラーを握る指。

俺の声なんて届くはずがなくて。

見慣れた光景に、またか、と声に出しそうになって慌てて飲み込んだ。

っても、どうせ聞こえてないだろうけど。

鞄やら鍵やらをいつもの定位置に置いて手を洗って戻ってきたけどアイツの姿勢は何も変わってなくて。

何か飲もうとキッチンに入ったら、頼んで食べたであろうデリバリーの残骸が。


「…すぐに水に浸けなきゃ落ちないだろ」


何に使ったかわからないけど、皿にソースがべっとりとついたままシンクに置いてあった。

コックをひねり水にさらす。


「…はぁ……」


キッチンから部屋を見渡した。

床に直置きされた缶ビール。

脱いだんだろう、上着。

ソファーに投げられてる鞄。

ピカピカと着信を知らせ光るスマホはソファーの背もたれの隙間に挟まっていた。

仕事が終わってから連絡をしたけど電話には出ないし。

折り返しもないから、トラブルでもあって撮影が長引いたのかな?なんて思ってた。

カーテンも開いたままの窓辺に吸い寄せられるように足をすすめる。


「あ…」


アイツが世話してたネモフィラの鉢植え。

もう、土がカラカラになって白くなり葉は力なく小さくなっている。

毎年、春になると透き通った春の空みたいな青い小さい花を咲かせてたのに。

今年は咲かなかった。

あれ?去年はどうだったっけ?

そっと、鉢植えを持ち上げた。

お前も忘れられちゃったの?

俺のことも、忘れちゃったの?


ねぇ、かず。

かずの気持ちもこの花ように枯れてしまったの?

水を与えるためにまたキッチンへ戻った。

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