テキストサイズ

笑い、滴り、装い、眠る。

第8章 花梨―唯一の恋―



翔「春だね…。」



感慨深げに通勤途中にある桜並木を二人で歩く。



「そうだな…」



春、って聞いて、いつも思い出すことがある。



翔「ね…あれ、見に行かない?二人で?」


「あれ、って?」


翔「花梨の木。」


「でももうあそこには入れないだろ?」


翔「うん。でも、ある人が見においで?って。」


「ある人?」





「いらっしゃい。二人とも、よく来てくれたわね?」



園長先生だった。



とは、言っても、施設はもうないのだから違うけど、高齢者の福祉施設の入所者としてここにいた。



「私ももういい歳だし、それにもう、歩く元気もなくて……。」



娘さんに車イスを押されながら園長先生は微笑んだ。



「家族に自宅じゃなくてどうしてここなの?って言われたけど、あなた達が帰りたい場所に私がいなかったら意味ないでしょ、って言ったら渋々…。」



ふふ、と笑ったあと、園長先生は苦しそうに咳き込んだ。



「来年も待っててあげるからまたいらっしゃい。来年だけじゃなくて、私がここにいる間、ずっと…」



でも、園長先生は、



次の春を迎えることなく、帰らぬ人となった。



ストーリーメニュー

TOPTOPへ