赤い糸
第6章 誕生日
「話したんですね。」
「なんだ…もう美紀ちゃんの耳に入っちゃった?」
仕事を終えてから医局の前でずっと川野先生を待っていた。
「ここじゃアレだから。」
私たちは人も疎らな食堂の窓側の席に座り
「璃子はどう?」
今日も仕事を休んでいる璃子の話を始めた。
「こっちが苦しくなるぐらい笑ってます。」
「…だろうな。」
先生は目を伏せコーヒーに口をつける。
璃子の誕生日に先生は彼女の心の負担になるからと隠していた記憶喪失という現実を打ち明けた。
その現実を何とか受け入れようとして璃子は無くしてしまった記憶を辿ろうとするけど
『何も思い出せないの…笑っちゃうよね…』
切ないぐらいに無理して微笑みながら 昨晩私に告げた。
「やっぱ、アイツに話すのは酷だったな…」
今日で二日も仕事を休んでいる璃子を気遣う先生。
「いつかは話さなきゃいけなかったんですよ。」
一生戻ることがないかもしれない大切な彼女の過去。
その記憶を自分の力で蘇らせない限り意味なんてない。
それは璃子本人もわかっていた。
だから 迷い苦しみもがいているのであろう。
「野球の兄ちゃんのことは…まだ?」
「…はぃ。璃子の頭の中では記憶喪失になったあの日から川野先生を大切な人だと認識してしまってるので、簡単にその鎖を解くことが出来ないみたいで。」
「バカだな…そんなのすぐに切っちまえばいいのに。」
何が正しくて何が間違っているのか…
いつも自分のことを後回しにしてしまう璃子は自分の進むべき道を見つけられずにいた。
コーヒーをグイッと飲み干すと先生は空になったカップに視線を落として
「アイツの記憶が戻るタイミングがもしあるとするなら…それは、自分の気持ちに向き合えたときだな。」
あの日二人きりで何を話したのだろうと思う。
「ねぇ、先生。聞きたいことがあるんですけど…」
「どうぞ?」
院内ではクールで通っている先生が璃子にだけ優しく微笑む理由
「どうして記憶喪失だとカミングアウトしちゃったんですか?言わなかったらそのまま自分のモノに出来たかもしれないのに。」
それはただ単に医者としてではなかったはずだと
「キスひとつしなかったんですよね?」
昨日 先生との日々を大切に話す璃子を見て
「どれだけ璃子を愛しちゃったんですか。」
痛いぐらいに感じたから。