貴女は私のお人形
第8章 だから世界の色が消えても、
乙愛の目路を、現実らしからぬ光景が覆い尽くしていた。
噎せるような薔薇の匂いは、未だ神経が正常に情報を拾っているのが不思議になるほど強烈だ。猟奇的なまでに溢れ返った純白の薔薇が、今にも乙愛をかどわさんと軽らかな花びらを開かせている。
どこを向いても、白、白、白だ。
生花だけでなくブリザードフラワー、ドライフラワーやらポプリやらが、部屋中を埋め尽くしていた。いっそ目も灼かれるような色彩だ。
美しい、少女なら誰もが恋をする、そして堕落の一途を辿ろう不思議な部屋だ。
しかし、乙愛の胸は凍てついた。
「……すず……姫……?」
一箇所だけ、色とりどりのピンクや水色の花が飾られていた。
一見して色の着いた花だと錯覚したそれは、よく見ると、いなくなったはずの友人だった。
すずめが、微動もせず、ソファに座っていたのである。
日本人にはありえない、灰色を帯びた緑色をした瞳のすずめは、半分以上を白い花弁で覆われていた。
すぐ近くに里沙がいた。ノゾミもとい希壱に連れられて乙愛と軒先まで共にしていた、ひと足先に不法侵入した共犯者である。携帯電話を耳にあてて、蒼白な顔をした里沙の腕には、あずなが抱かれて横たわっていた。
眠っているのか?
それとも──。
「純様!!」
いつ着替えたのだろう。
乙愛がゴシックパンクの姿をした純を見るのは、これで二度目だ。
長い髪を腰にまで流した、淑女のようにたわやかな純の風情も美しかった。同じくらい、青年貴族を彷彿とする彼女の姿も、乙愛の胸を締めつける。
もっとも、乙愛の夢見心地は続かない。
純の向かい側にいた希壱が、乙愛に目を向けたからだ。
「玄関からここまで来るのに、君はどれだけかかるんだ」
「乙愛!」
希壱に続いて、乙愛は純とも目が合った。
「ごめんなさい、純様。あたし、勝手に……」
どれだけ非常事態でも不法侵入は道理に反する。
乙愛は、純の吃驚した目が自分を映しているのを自覚して、いたたまれなくなる。
「勝手に、お邪魔して、ごめんな──」
乙愛の視界が遮断された。
すずめのかたちをした人形も、里沙もあずなも、田中希壱という得体の知れない人物も、瞬く間に無に消える。