BLUE MOON
第1章 コーヒーと花束
ワンフロアーを締める広い営業部の中での私の席は給湯室に一番近い。
そして
…満月は明日か
大きな窓の横である。
この時間、上層階から見下ろす景色はまるで宝石を散りばめたような東京の夜景が一望できるのだけれど
…綺麗だな
私はそれよりも人工的な輝きの上にひっそりと瞬く月を眺めるのが好きだった。
それは私が高校生の時に事故で亡くなってしまった母の名前が関係するからなのかもしれない。
母の名前は『美月』
そう、この会社と同じ名前だった。
だからかな、絶対に受かるはずはないと思いながらもこの会社にエントリーしてしまったのは…
奨学金で国立大学を卒業したものの…さすがにね、何の取り柄もない私は総合職にはなれなかった。
この会社はある意味日本を動かしてるって言っても過言ではないぐらい大きな会社。
ママが天国から何らかの操作をしないと入れないであろう会社。
極々平凡などこにでもいるOL。
ここの部署のみんなみたいに特別頭がいいわけでもなければ美人でもない。もちろんスタイルだって抜群なわけでもない。
強いて言えば…なんだろう
さっき課長が言ってくれたコーヒーを淹れるのが少し上手いぐらい。
それはきっと大好きだったパパのおかげ。
パパは学生の頃にバイトしていた喫茶店のマスターに習ったコーヒーの淹れ方を幼い私に伝授してくれた。
豆にゆっくりとお湯を含ませて少しずつ注ぎながらコーヒーを落とす。
すると どんなに安い豆だってコーヒーの旨味がちゃんと出るんだって コーヒーの味もわからない私に教えてくれてたもんね。
…もう一杯コーヒー飲もうかな。
私は飲み干した小さなカップを手にとって給湯室へと歩む。
そして ママの運転する車に乗って一緒に天国に旅立ってしまったパパのことを思い出しながら湯をゆっくりと回しかけた。
立ち上る香りに久しぶりに胸が痛む。
あの大雨の日、私が駅まで迎えに来てなんて言わなければ…
なんて、何百回何千回思った言葉を胸に押し込む。
…はぁ
小さなため息をつきながら豆が膨らみ始めたそこにもう一度湯を注ぐと
「いい匂いだね。俺のも淹れてくれる?」
聞き慣れない声が頭上から降ってきた。
「は…はぃ」
私はその方向に振り返ると
…誰?
給湯室の入口で大きな花束を抱え優しく微笑む男性がいた。