BLUE MOON
第1章 コーヒーと花束
「わ…私ですか?」
やっとの思いで紡いだ言葉は間の抜けた返事だった。
「桃子~」
麻里も他の女子社員と同じように溜め息をひとつ吐くと私の肩にドシンと腕を置いて
「アンタ、明日から針の筵ね」
なんて言って睨んでくる。
「どうしよう」
ここ2、3ヶ月はフリーでいたけれど、それまではアシスタントとしてこの部署でやってきた。
「どうしようもこうしようもないでしょ?明日からは女子社員に睨まれながら桜木チーフの手となり足となるのよ」
彼はこれからこの部署の中心になるであろう人物なのは一目瞭然で
「桜木チーフのアシスタント…」
女子社員が黙ってるはずはないってことぐらい容易に理解できる画に描いたようなモテ男。
「私には無理だよ…」
そんな人のアシスタントなんていう大役がお盆を持って佇んでいる私に勤まるわけがないのは明らかだった。
自分の心が整理できずに盛大な溜め息を付くと
「あっ…」
急に視界に入ってきた長い指が冷めてしまったコーヒーカップを拐って
「魚住の言うとおりだな」
コーヒーを一口 口に含んだのは花束の彼。
「よろしく、えっと…」
そして私の胸の前に手を差し出す。
「そ、園田桃子です。よろしくお願いいたします!」
私は慌ててお盆を脇に抱えてその手を握るとアーモンド色の瞳が微笑んだ。
「なるほどね、だから姫なんだ」
「はぃ?」
…今、“姫”って言った?
「軽く打合せしようか」
桜木チーフはポカンとする私の肩をポンと叩くと
「ほれ、行くぞ」
「は、はぃ!」
お盆を持ったままの私をデスクに連れていった。
「はい、これ」
チーフは長い足をサラリと組んで黒いファイルを私に差し出すと
「ここに大体の事はまとめてある。目を通してくれればわかるようになってるから」
この人は仕事ができる…なんてもんじゃない。
「凄い…」
ファイルには彼の仕事の流れがまとめたフローチャートと顧客情報が手書きでビッシリと書かれてあった。
「わからなかったらその都度聞いて。」
桜木チーフはもう冷めたであろうコーヒーを飲み干すと
「それと」
「なんでしょう」
空になったカップを揺らし
「毎朝俺にこの旨いコーヒーを淹れてくれる?」
首を傾けて微笑んだ。
この人は…人たらしだ。
「はぃ…」
だって私の心が少しだけ跳ねたから。