
水曜日の薫りをあなたに
第1章 水曜日、その香りに出逢う
しかし学生時代からの友人に言わせれば、『あんたは自由に生きていて羨ましい』そうだ。そんなふうに思われるのは、薫が未だに結婚願望を持てないことが原因らしい。だが結婚と幸せを素直に結びつけることができない薫にとっては、それを選択しないことを“自由に生きている”と表現されてしまうのは心外だ。
それを普通の幸せとし、育った環境も性格も違う他人と一生添い遂げることを受け入れられる人のほうが、よほど自由な価値観の持ち主だと薫は思う。結婚して家庭を築く――そういった普遍的な幸せを掴めるのは、目の前の不安や疑問といった精神的抑圧を跳ね除けられる力を持った、ある意味大胆な人なのではないかと。
こんな考えを持つのはおかしいだろうか。そもそも普通の幸せとはなんだろう。女の幸せは結婚して子供を産むことなのか。
「……なにそれ」
「なにが?」
突然隣から聞こえた低音に、負の妄想の世界から一気に引き戻された薫はびくりと肩を震わせた。
「そんなに驚かなくてもいいだろ」
その愉快そうな声の主は、空席を一つ挟んだ隣の席から珍しい生物を観察するかのように薫を見つめていた。
推定三十代前半から半ば。すっきりと整えられた黒髪と上質な紺色のスーツが妙に色気を感じさせる、眉目秀麗な紳士だ。
