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じゃん・けん・ぽん!!

第14章 第1回戦

「では、始めてください」
 言われるまでもなかった。
 健人は、裕子の顔をみた。裕子も、健人の顔を見ている。ただ、過去二回の戦いで感じたような緊張感は、今回はなかった。体も固くなっていない。
「じゃん――」
 裕子の声を合図に、健人は拳を握った。
「けん――」
 今度は健人が言い、そして握った拳を後ろに引いた。
 若干の沈黙が流れる。ふたりを見守る群衆も、ひと言も発さない。なぜか、自動車の音も、気が風に揺られる音も、蝉の鳴き声さえも、その一瞬のうちには聞こえなかった。まるで世界が停止してしまったかのような静寂だった。時間にすれば、一秒の百分一にもならないくらいの、短い時間だっただろう。その僅かな静寂の後、
「ぽん!」
 二人同時に掛け声を出しながら、お互いに手を出した。
 健人は――。
 負けた。
 健人が出した手は、もちろんパーだった。それに対して裕子が出したのはチョキだった。
 さっき糊で固定されたはずの左手の指が立っている――というわけではなかった。左手は拳のままだ。
 つまり裕子の出した手は、右手だったのだ。
 ――やられた!
 そう思った。
 ひとしきりの会話のあとに、裕子は左手を糊で固めてまで、グーを出すと宣言した。それにすっかり気を取られていた。右手は、自由なままだったのだ。
 ――こんな簡単な手で。
 いや、簡単な手だからこそ、油断していて気づかなかったのかもしれない。そう思うと悔しくてならなかった。
 直前まで交わしていた、恨みとか感謝とか味方などという話は、やっぱりまやかしだったのだ。もしあの会話がなければ、こんな子供だましのような手は喰わなかっただろう。
 悔しさと怒りと苛立ちと恥ずかしさが同時にこみ上げてきて、胸の中がいっぱいになる。その挙句に口から出たのは、
「く」
 の、ひと文字だけだった。本当は大声をあげて叫びたいくらいだったが、この群衆の中でそんな姿を見せることにはさすがにできない。表に出せない感情が、身体中に満ちて膨張していく。おそらく、こめかみには血管が浮いているに違いない。そう感じるくらい、頭が、がんがんと痛んでいた。

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