テキストサイズ

『untitled』

第5章 赤いシクラメン

情けない。


まさか、脅されるなんて。


いつ、どこで、何を見られたのか。

こんなの、マネージャーとして失格だ。

あの女優は、俺にこう耳打ちした。

“必ず、松本さんを連れてきてね…そうじゃないと…わかるわよね?マネージャーとタレントのスキャンダルってヤバくない?”

言われた瞬間、地震でも起きたか、というくらい目の前が揺れた。

立っているのもやっと。

ましてや、潤と二人きりになんて…どんな顔をしたらいいんだよ…

溢れてくる涙は、自分の不甲斐なさのせい。

タレントを守る俺が、守らなきゃならない俺が…

「何を言われた?」

「食事会の場所、確認してきます」

顔を見ていられなくて楽屋を出ようとした。

が、腕を掴まれた。

「泣いてんじゃん…行くなって…」

腕の中に引き寄せられる。


甘く、痺れるこの匂いはとても安心出来る、

はずだったのに…

ドンっと潤を突き飛ばす。

「止めてくださいっ!誰が見てるか分からないのに…少し、目にゴミが入っただけですから、私のことは気にしないで下さい」

潤の顔も見ずに伝える。

タブレットでスケジュールを確認するフリをしながら。

あの女優のことだ。

食事会なんて嘘なのかもしれない。

でも、監督方が参加すると言われたら、主演俳優が参加しないのはおかしい。

「じゃぁ、翔も行こう」

低い声だ。

怒ってるんだ。

「いえ、私は事務所に戻らないといけないので…」

「……」

楽屋で二人しかいないこの空間。

あの穏やかな時間はもう戻ってこないのか…

「…じゃぁ、」

「松本さぁ~ん!行きましょう?ね?」

俺に何かを言いかけたところでノックもせずにあの女優がドアを開けた。

くっそ…こんな、礼儀もなってないやつと…

「明日の時間はまた連絡します」


行かないで…

行くな…

どちらも、言えない。



だって、マネージャーだから。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ