テキストサイズ

『untitled』

第5章 赤いシクラメン

さっきから感じる、右半身の温かさ。

俺の腕に腕を絡ませて、何なら胸も押しつけてくる始末。


不快以外の何物でもない。


「ホント、嬉しいんです!松本さんと共演出来て」

猫なで声ってヤツで話しかけてくるけど、返事をするつもりは毛頭ない。


それよりも……

コイツは翔に何を言ったんだ?


翔は冷静そうに見えるが嫉妬深い。

けど翔はマネージャーとしての仕事を全うする。

自分が逆の立場なら絶対に断る役どころでも、成長や飛躍の為に俺を推薦してくれたり、仕事を引き受けてくれる。


翔がいたから、今の俺がいる。


でもやっぱり現場で辛そうな表情を見ると嬉しい反面、可哀想に思う自分もいる。


全ての仕事場にマネージャーを同伴させる必要はない。


見せなきゃいいだけの話だけど……俺もプロ。


翔が持ってきた仕事を全うする姿を見せたい。

そしてその後はちゃんと『翔だけだ』って抱きしめて、キスして伝えたいんだ。


けど今日は違った。


言葉ではいつも嫌がるけど、俺に身を委ねる翔。

同じ言葉だけどそこには悲痛な思い、そして叫びが詰まってた。


そして俺を否定した身体と瞳から溢れ落ちた涙。


こんな翔を見たのは初めてで……

だからこそ翔をひとりになんてさせれない。


でもそれは思っているだけ。

行動に移すことはできない。



だって俺は俳優だから……



「もうすぐ着きますからね」

今の俺に出来ることは、さっさと食事会を済ませて翔の元へ帰ること。

「ふふっ、楽しみですね」

「全然」

お前となんて楽しみを共有したくないと睨み付けながら答えてやった。

「怒った顔もいいですね」

俺の嫌味を物ともせずニコッと笑って見せる。


だから女優は気が強いから嫌いだ。


俺は大袈裟な溜め息をつくと窓から目的地へと向かって流れ行く景色を見つめる。


『行くな!』と翔を引き留められなかった手をグッと握りしめながら……

ストーリーメニュー

TOPTOPへ