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氷華~恋は駆け落ちから始まって~

第3章 幻の村

「ここに来るまで随分と無理をさせました。疲れ切って、脚に怪我まで負っていたあなたに酷い仕打ちをしてしまった。許してくれと言って許して貰えるものではないでしょうが、申し訳ありません」
「―トンジュは私を最初からそのつもりで連れてきたの?」
 核心を突いた問いかけに、トンジュが一瞬、怯む様子を見せた。
「そうとも言えるし、そうとも言えないと思います」
 応えてから、少し笑った。
「済みません。男としては卑怯な言い方ですね」
 〝ただ〟と、彼の声が俄に真剣味を帯びた。
「ただ、ちゃんと手順は踏むつもりでした。俺が人生で初めて好きになった―この女しかいないと決めたひとです。きちんと順番どおりに、まず俺のことをよく知って貰って、それから求婚するつもりでした。間違っても、無理強いをしようとまでは思っていなかった。これだけは信じて下さい」
 トンジュは口にしなかったけれど、恐らくはサヨンのあられもない姿を見てしまったことがトンジュの理性を狂わせてしまったに違いない。それをこの場で指摘しなかったのは、トンジュなりの配慮なのだ。
 だとすれば、先刻の思わぬ出来事の責任の一端は自分にあるともいえた。
「一つだけ訊かせて欲しいの」
 サヨンはゆっくりと眼を開いた。
「疲れているのではないですか? 今は、ゆっくり眠った方が良い。もう何もしないから、安心して眠って」
 だが、サヨンは構わず話し続けた。
「トンジュは何故、私に氷華を見せたの?」
 これは彼にとっても想定外の質問だったようだ。
「無理に話をする必要はないんですよ」
 トンジュが宥めても、サヨンは憑かれたように応えをせがんだ。
 トンジュは小さく含み笑うと、サヨンの漆黒の髪を撫でた。
「やれやれ、我が儘なお嬢さまだ。俺から応えを引き出すまで、どうでも眠る気はなさそうですね」
 しばらく沈黙があったのは、彼が話を纏めるための時間であった。
「あの風景をあなたに見せたかった。あなたと見たあの景色を俺は生涯忘れないでしょう」

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