
触って、七瀬。ー青い冬ー
第19章 夢色の雨
さく、と足音が進んでいくが、
八霧は無言を貫く。
紅色の絨毯は俺の黒い革靴を更に濁った色に見せた。
《凄いね》
そんな風に軽蔑の目を向けられるのは、大して驚くべきことでもない。逆によくありすぎて、そんな目で見られることが挨拶のように思えている。
どうも、俺はあなたのような善良な一般市民から最も遠く、正反対の暗い夜の中、薄汚れたビルの狭間で、汚いゴミ袋をつついて誰かが捨てて行った過食部分を探し出しておいしく頂戴する意地汚い人間です。
ええ、何とも思いません。
他人の隙に漬け込んで慰めて、居場所はここにあるよ、君はここにいるべきだと優しく語りかけて
沢山の人間の傷をなめ、
その傷が治るまではここにいなよと
そんな傷はここにいる限り大したことはないよと
沢山の人間を依存させるように仕向けて
彼らから沢山の意思を奪って
彼らの楽になるような逃げ道を差し出して
苦しみはあれど、自立して進むべき価値はあるだろうという道からは遠ざけて
どんどん夜へ引きずりこむことも
大したことではない。
仕事です
あなた方が昼間に働くように
俺も同じように夜に働きます
求められるから、やっている
「…仕事だ」
思いがけずに口から出たのは驚く程くたびれた声。
八霧はさく、とハイヒールの踵で絨毯を刺し立ち止まった。
「さっきの彼女、どんな気持ちだっただろうね?」
八霧は静かに言った。
あまりに静かに言ったので、独り言のようにも聞こえた。
あまりに静かだったので、どこからかピアノの音色が聞こえた気がした。
ここは教会ではないのだから、ピアノの音が聞こえるはずがないのに。
しかしその音色は俺の耳に確かに聞こえていた。
…白い羽だった
以前、まだ手が小さくて一オクターブ上の音を一緒に弾くのがやっとだった頃
あの頃にピアノを弾いている時見えたものは
白い羽だった
どこからともなくふわりふわりと
雪が降るように音もなく
風もなく
ふわりふわりと白い羽は積もって
その羽を見るのが楽しくて楽しくて
気がつかぬ間に何度も繰り返し同じ曲を弾いて
弾き終わった頃にはその羽に包まれて
あたり一面が白い絨毯に包まれて
その中に飛び込んで眠った
今日もありがとう、一緒にいてくれて
その羽は俺の全財産
