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触って、七瀬。ー青い冬ー

第19章 夢色の雨




「お待ちください!」

それはさっきの使用人の声だった。
立ち止まると、彼女は走って息を切らしながら手に持ったカードを差し出した、

「これを…」

差し出されるまま受け取ったが、受け取らなければ良かったと思った。

「ぜひ、いらしてください。また」


彼女がそう言ったので、俺は頷く他なかった。


……



「おやすみなさい」

僕は広くて柔らかいベッドに横たわっていた。


サキちゃんは挨拶してくれたが、僕は小さく返事を返すくらいしか出来なかった。


パタンと扉が閉まった。

何度も避けてきた事実を突きつけられたようだった


サキちゃんに促されて座ったピアノの椅子はあまりに久しぶりに感じて

同時に、自然と浮かび上がるのは実家の冷えた空気

そこを温めるように、隣に先生が座っていた


涙が尽きたと思ったのに
拭うたびに滲み出てくる


先生の存在はあまりに大きすぎた

親よりも僕を認めて愛してくれた


あの人こそ、僕の家族だった

あの人以外は…



喉が勝手に動いて唸る声が漏れる


もう先生からは自立できたと
そう思っていたのに

こんな風に思い出して、
無くなってしまった存在の大きさに気づいて

もっと伝えておきたいことがあったのに
もっと話しておきたいことがあったのに


先生の手も声も、ぼんやりとしていた
その顔も、どんな風に笑っていたかわからない

薄れていくような気がした

僕の中にいた先生が遠ざかっていく

記憶の中から消えていく


もし写真や動画を見ても
あの時感じた先生の温もりはもうわからない

そこにいたという証拠が薄れていく


先生の存在を証明するものが



悲しいわけではなかった


恐ろしかった


人は簡単に消え、簡単に忘れ去られる

その存在の儚さに喉元を握られたような
痛みと息苦しさに襲われる


僕が死んだとして

一体誰が僕を覚えていてくれるのか

誰がいつまで僕のために泣いてくれるのか


いたとしても

その人が死んだ時僕はいなかったことになるのではないか


そんな些細なことが恐ろしくて

素晴らしい人生がまるで虚構のようで

お伽話のように、

「昔々」の中の大勢の村人の一人として

特別な名前すら与えられず

忘れ去られ消えていく


そんな当たり前のことが

虚しかった




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