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闇に咲く花~王を愛した少年~

第5章 闇に散る花

 うつむく誠恵をやるせなさそうに見、香月は溜息を吐き出した。
「いつもあたしが言ってただろ、客に惚れさせても、遊女が客に惚れちまったらならないって、さ。翠玉、客が王さまであろうが、その日暮らしの職人であろうが、理屈は皆、同じなんだよ? 妓生が男に惚れちゃならない、ましてや、あたしらは本物の女じゃないってことを忘れちゃ駄目だ」
 言いたい放題なようでも、香月が心底から誠恵の立場を案じているのは伝わってくる。
「ヘマをしちまったみたいです。ごめんなさい」
 涙が溢れそうになり、誠恵は唇を噛んだ。
「やっぱり、あんたには、まだ荷が重すぎたかねぇ。男を知らない初な翠玉には男を手玉に取るのなんて無理だったみたいだ。―あたたしが悪かったんだよ。あんたなら上手くやれると思って―、上手いこといきゃ、あんたも郷里(くに)の家族も一生楽して暮らせるだけの大金が転がり込むと思って、旦那に紹介したんだけど」
 香月の表情は暗かった。
 誠恵は何も言えず、黙って頭を下げる。土産の杏子が入った籠を渡すと女将の前を通り過ぎた。
 二階へと続く階段を昇り、磨き抜かれた塵一つない廊下を歩く。
 飼い主を裏切った狗(いぬ)に待つのは、何なのか。惨たらしい制裁か、潔いほどの呆気ない死か。
 流石に自分が辿るであろう末路を考えると、脚が鉛のように重く感じられる。
 だが、ここまで来た以上、ゆかねばならない。あの男と対峙しなければならない。
 それに、万が一、ここに来ず、逃げ出したとしても、都を出る前に放たれた追っ手に捕まってしまうだろう。そして、村の家族は皆殺しになる。領議政孫尚善とは、そういう男だ。一度裏切った者に対しては、どこまでも容赦なく制裁を加えるに相違ない。
 いや、裏切らずとも、自分の利にならぬと判断すれば、即、その時点で始末されてしまうだろう。他人の生命など、何とも思ってはおらず、すべての人間は我が身とその一族の栄光のために働くべきものだと信じ込んでいるような男なのだ。
 あの部屋―、かつて水揚げの客を迎えるはずだった部屋は廊下の突き当たりにあった。
 引き戸を静かに開けると、領議政は屏風を背にして、上座に座り手酌で酒を呑んでいた。
「大(テー)監(ガン)、お久しぶりでございます」

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