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闇に咲く花~王を愛した少年~

第5章 闇に散る花

―殿下、そのように安心していて、良いのですか? 
 誠恵はそう言って王を揺さぶり起こしたいとさえ思った。
 だが、誠恵の〝任務〟は、それでは済まない。今夜、誠恵は光宗を殺し、領議政から課せられた〝任務〟を終える。
 このひとは、他人を疑うということを知っているのだろうか。誠恵は、傍らにいる自分を疑いもせず眠り込んでいる王を見ながら、しみじみと考える。
 無意識の中に懐に片手を差し入れていた。
 そっと取り出した匕首をしげしげと眺める。仮にも国王と臥所を共にする女に対して、所持物の検めもないとは、あまりにも無防備すぎる。国王を殺そうとしている誠恵が何ゆえ、そんなことで憤慨するのか自分でもよく判らないけれど、聖君と崇められる光宗に唯一の欠点があるとすれば、それは容易く他人を信じすぎることだろう。
 誠恵は陸(おか)に上がったばかりのびしょ濡れの猫のように、勢いよく首を振った。
 いけない、つまらないことを考えて、迷っている暇はない。あの切れ者の柳内官は今夜もやはり、近くに詰めているに相違ない。光宗は同衾する側妾の持ち物調査をしないばかりか、提調尚宮や趙尚宮たちを追い返してしまった。寝所のすぐ外に彼女たちが控えていれば、誠恵の計画は今夜、著しくやり遂げにくなったに相違ない。全く不用心なこと極まりないではないか!
 何故か憤慨しながら、誠恵は無防備な男の寝顔を感慨深く眺める。
 柳内官が必ずどこからか部屋の様子を窺っているはずだ。何かあれば直ちに駆けつけられる場所に待機していることだろう。それを思えば、できるだけ早急に事を片付る必要がある。
 駄目だ、この子どものような他愛ない寝顔を見ていたら、どうも情にほだされてしまう。
 領議政は一度抱いてしまえば、意のままに操れると考えているようだが、そんなのは嘘だ。だって、誠恵は光宗に一度も抱かれていないのに、これほどに光宗を愛しい。家族や自分の生命と引き替えに光宗の生命を奪えと命じられているにも拘わらず、こうして匕首を振り下ろすのを躊躇っている。
 誠恵は匕首の鞘を抜く。刹那、ギラリと刃が鈍い光を放った。
 両眼を固く瞑り、思いきり高く両手で持った匕首を振り上げる。

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