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闇に咲く花~王を愛した少年~

第5章 闇に散る花

 大方、気配を消していたのだろう。よく訓練された刺客であれば、それくらいのことは朝飯前だ。よほどの手練れの者の仕業としか思えない。
 誠恵は口から大量の血を吐きながら、地面に音を立てて倒れた。
 誠恵は薄れゆく意識を懸命に保とうと己を叱咤する。
 ありったけの力を振り絞り、うつ伏せて倒れていた状態で顔だけを起こした。
―嗚呼、何と美しい。
 昇りかけた朝陽が正面―はるか東の地平を淡い藤色に染めている。
 誠恵は震える手で懐から玉牌を取り出した。薔薇の花を翠玉石で象った玉牌は、簪とお揃いで光宗から贈られたものだ。
 早々と毒が回ったのか、手脚は痺れて上手く動かないし、眼も時々霞んで視界が覚束なくなり始めている。
 流石は抜かりのない領議政孫尚善だ、こうも易々と宮殿を出てからすぐに殺られるとは考えてもみなかった。
 玉牌と簪に付いている薔薇は、新緑の若葉を思わせる色の花だ。誠恵は小さな緑の薔薇をそっと撫でた。〝緑花〟の名を持つ翠色の石をあの男は誠恵のために選んでくれた。
 これで良いのだと、思った。
 これで、良かったのだ。自分は死んで、あの方は生き残った。
 残してゆく村の家族のことだけが心残りだ。
 ここまでやるからには、あの冷酷な男は誠恵を殺してもなお飽きたらず、両親や幼い弟妹を殺すかもしれない。
 都から離れた村に住む家族を殺しても、領議政には何の特もない。何の力も持たない無力で貧しい農民だ。後はもうあの男が報復として誠恵を殺したことで満足して、彼らにまで魔手を伸ばさないのを祈るだけだった。
 このような生き方を選んでしまったことを家族には幾ら詫びても詫びようがない。
 殿下、どうか、万世を遍く照らす光のような聖君におなり下さい。
 最愛の男に囁きかける。
 自分の何がいけなかったのだろう。
 王室でも両班でもなく貧しい民の家に生まれたことか、さもなければ、愛しい男の愛を堂々と受け容れられる女としてではなく、男としてこの世に生を受けたことか?
 いいや、そうではないことを彼は既に知っていた。

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