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闇に咲く花~王を愛した少年~

第1章 変身

「美しき花は棘を持つ。その棘には猛毒が潜んでいよう。この上なく甘美で、ひとたび刺されれば、二度と目ざめぬほど甘美な猛毒がな」
 尚善が低い声で言った。
「断る。朝鮮中の民が聖君として慕う賢明な国王を殺すだけの理由がない」
 誠恵が突っぱねると、尚善がニヤリと口許を歪めた。
 こうした笑みを浮かべると、彼の本来持つ冷酷な一面が強調されるようで、凄みがあった。思わずゾワリと、膚が粟立つ。
「そなたは断れぬ。秘密を知ったそなたが消されるだけではない、そなたの生命よりも大切な家族がどうなるか、考えたことはあるのか?」
「卑怯な! 家族の生命を楯にして、私に言うことをきかせるつもりか」
 誠恵が怒りに瞳をぎらつかせて怒鳴ると、尚善は穏やかな笑みを返してきた。たった今の酷薄さは瞬時に消えている。だが、これが上辺だけのものだと誠恵は既に知っている。
 誠恵がこの命を拒めば、この男は言葉どおりに村の家族を殺すだろう。自分の目的や野心を遂げるためには、他人を犠牲にしても何の呵責も感じない、そういった男なのだ。
「逃げようとしても無駄だ。たとえ、どこにゆこうと、私の眼から逃れることはできぬ」
 尚善は立ち上がり、入ってきたときと同じように堂々とした脚取りで出ていった。戸が閉まる直前、尚善の声が聞こえた。
「明日、ここを出るが良かろう。女将がすべて手筈を整えてくれる。そなたは女将の言うとおりに動け。すべての連絡は女将を通じて行うゆえ、何か緊急の際はここに来るのだ」
 一人になって、誠恵は頬をつねってみた。
 これは、きっと悪い夢。自分などの何の力もないただの子どもが国王暗殺などという大それた陰謀に巻き込まれてしまうなんて、あり得ない。
 でも、誠恵の手には紛れもなく一輪の薔薇がある。淡い闇の中でも色鮮やかに咲き誇る黄色の薔薇。この薔薇こそが、あの男―この国の領議政孫尚善がつい先刻までこの部屋にいた何よりの証であった。
「痛ッ」
 うっかり力を込めてしまい、指を棘で刺してしまった。白い人さし指から見る間に血が盛り上がり、滴り落ちる。かすかな痛みを訴える指先を咄嗟に口に銜え、誠恵は思った。

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