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闇に咲く花~王を愛した少年~

第2章 揺れる心

 しかし、都にもそうそう仕事があるはずもなく、結局は、家すらも失い、完全に流民となり果ててしまうのである。
 この女も地方から出てきた田舎娘なのだろう。現に、着ている衣服は泥や埃にまみれ、あちこち破れている。彼をここに案内した少女の方がまだはるかにマシな、きちんとした身なりをしていた。
 恐る恐る娘の口許に手をかざすと、息遣いが感じられる。念のため、細い手首を掴み、脈を検めると、こちらも規則正しい。
 心配そうに二人を見守る女の子に、若者は微笑んだ。
「大丈夫だ。この女人は一時、気を失っているだけだ。そなたが私をここに連れてきてくれたお陰で、最悪の事態は避けられたようだ。ありがとう、礼を申すぞ」
 若者が言うと、女の子ははにかんだような笑顔になる。とても愛らしい笑顔だ。彼は懐から小さな巾着を取り出すと、女の子の手に握らせた。
「これで、何か好きなものでも買って貰いなさい」
 巾着の中には、幾ばくかの金が入っている。贅沢に慣れた両班にとっては、はした金でしかないが、女の子の両親が二、三ヵ月は働かなくても良いほどの額はあるだろう。
 女の子は嬉しげに笑い、ペコリと頭を下げると、また兎のように飛び跳ねながら走り去った。
 子どもとは実に可愛いものだ。あの年頃であれば、彼の甥とさして変わらないだろう。早くに逝ってしまった兄の忘れ形見である甥を、彼は弟、或いは息子のように可愛がっている。
 若者は女の子の姿が見えなくなるまで見送っていたが、やがて、小首を傾げた。
 この行き倒れの娘をこのまま放っておくわけにはゆかない。それでなくとも、都は物騒なところだ。民心は安定してきたとはいえ、夜には盗賊が徘徊する。殺人事件が起こることも珍しくはない。
 また、この界隈は昼間でもなお人気がなく、とりわけ危ない。こんな若い女が一人正気を失って倒れていたら、不心得者にどこかに連れ込まれて慰み者にされ、挙げ句には遊廓に売り飛ばされるのが関の山だ。
 彼は娘を抱き上げ、再びゆっくりとした脚取りで歩き始める。少し歩いたところで、娘が少し身を捩った。
 何事かとその顔を覗き込んで、彼は改めて、この娘が稀に見るほどの美貌だと気付いた。

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