闇に咲く花~王を愛した少年~
第2章 揺れる心
―これが、左議(チヤイ)政(ジヨン)孔賢明の屋敷。
いよいよ敵の懐に飛び込んだのだ。いかなる失敗も許されない。
誠恵は全身に緊張が漲るのを憶えた。
屋敷の奥まった一室が誠恵のために用意された。そこは見たこともないほど広々としており、室内はいかにも若い女性の住まいらしく美々しく飾り立てられている。
色鮮やかな緋牡丹が描かれた衝立や華やかな桃色の座椅子など、思わず眼を奪われるほどだ。
既に床がのべられており、誠恵を抱えてきた王はまるで壊れ物を扱うような慎重な手つきで彼女を横たわらせた。褥もまたすべて絹でできており、彼女が使ったこともないものだ。すべてが夢のような世界だった。
王は誠恵を部屋に落ち着かせると、すぐに宮殿に帰っていった。
帰り際、誠恵が慌てて起き上がって見送ろうとするのを、王は笑顔で制した。
「身体がまだ回復しておらぬのだ。私のことは気にしないで、寝ていなさい」
静かに閉まった戸を茫然と見つめながら、誠恵は眼を伏せる。
優しそうな笑顔をしたひとだった。この男を私は本当に殺せるのだろうか。
次の瞬間、慌てて気弱になりそうな我が身を叱咤する。
いや、何がどうあろうと、あの見るからにお人好しな男に間違っても憐憫など憶えてはいけない。この計画が失敗すれば、自分だけでなく大切な家族まで生命を失うことになるのだ。
躊躇いは禁物。私は必ずあの男を殺さねばならない。誠恵は自分に言い聞かせた。
次に王が孔賢明の屋敷を訪れたのは、その二日後であった。ちなみに左議政孔賢明は、光宗の実の伯父に当たる。亡くなった光宗の生母仁彰王后の実兄として、早くから朝廷でも幅をきかせてきた男である。今年、四十七になると聞いているが、なかなかどうして侮れぬ人物のようであった。
現在も光宗の外戚というよりは、忠実な臣下として若い王を支え、その片腕となって活躍していると聞く。
光宗が訪れた時、誠恵は丁度、刺繍をしているところであった。コホンと小さな咳払いが戸の向こうで聞こえ、誠恵は慌てて立ち上がる。ほどなく王が姿を現した。
頭を下げる彼女に、王は苦笑を浮かべて首を振った。
いよいよ敵の懐に飛び込んだのだ。いかなる失敗も許されない。
誠恵は全身に緊張が漲るのを憶えた。
屋敷の奥まった一室が誠恵のために用意された。そこは見たこともないほど広々としており、室内はいかにも若い女性の住まいらしく美々しく飾り立てられている。
色鮮やかな緋牡丹が描かれた衝立や華やかな桃色の座椅子など、思わず眼を奪われるほどだ。
既に床がのべられており、誠恵を抱えてきた王はまるで壊れ物を扱うような慎重な手つきで彼女を横たわらせた。褥もまたすべて絹でできており、彼女が使ったこともないものだ。すべてが夢のような世界だった。
王は誠恵を部屋に落ち着かせると、すぐに宮殿に帰っていった。
帰り際、誠恵が慌てて起き上がって見送ろうとするのを、王は笑顔で制した。
「身体がまだ回復しておらぬのだ。私のことは気にしないで、寝ていなさい」
静かに閉まった戸を茫然と見つめながら、誠恵は眼を伏せる。
優しそうな笑顔をしたひとだった。この男を私は本当に殺せるのだろうか。
次の瞬間、慌てて気弱になりそうな我が身を叱咤する。
いや、何がどうあろうと、あの見るからにお人好しな男に間違っても憐憫など憶えてはいけない。この計画が失敗すれば、自分だけでなく大切な家族まで生命を失うことになるのだ。
躊躇いは禁物。私は必ずあの男を殺さねばならない。誠恵は自分に言い聞かせた。
次に王が孔賢明の屋敷を訪れたのは、その二日後であった。ちなみに左議政孔賢明は、光宗の実の伯父に当たる。亡くなった光宗の生母仁彰王后の実兄として、早くから朝廷でも幅をきかせてきた男である。今年、四十七になると聞いているが、なかなかどうして侮れぬ人物のようであった。
現在も光宗の外戚というよりは、忠実な臣下として若い王を支え、その片腕となって活躍していると聞く。
光宗が訪れた時、誠恵は丁度、刺繍をしているところであった。コホンと小さな咳払いが戸の向こうで聞こえ、誠恵は慌てて立ち上がる。ほどなく王が姿を現した。
頭を下げる彼女に、王は苦笑を浮かべて首を振った。