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闇に咲く花~王を愛した少年~

第2章 揺れる心

「そのように畏まらないでくれ。私は、貧乏貴族の三男で、たいした力も金もない甲斐性なしの男なんだ」
 嘘ばっかりと、誠恵は思ったものの、むろん口には出さない。息をつくように嘘をつくのが得意というのなら、この男に対する認識は少し改める必要があるかもしれない。
 流石は〝狐〟と噂される策謀家の左議政の血を分けた甥だけはある。
「何をしていたのだ?」
 興味深げに問われ、誠恵は頬を少し染め、さも恥ずかしがっているようにふるまった。
「刺繍をしておりました」
「ホウ、私にも実際にしているところを見せてくれぬか」
 言われたとおりに誠恵は手を動かす。器用に手を動かしている誠恵を見て、王は感嘆の声を上げた。
「実に不思議なものだ。針と糸だけで、そのような一枚の絵が出来上がるとは」
 誠恵が刺しているのは、黄色い薔薇であった。大輪の薔薇の花が一つに、蕾が三つ、もうほぼ出来上がっている。純白の絹布の上にひらいた大輪の薔薇は艶やかに咲き誇り、その香りにいざなわれるように蝶が迷い込んできても不思議はない。それほどに花の美しさを見事に描写していた。
「お恥ずかしい限りでざいます」
 頬を染める誠恵を、王は眩しげに見つめた。
「そういえば、まだ、そなたの名を訊いていなかった」
 思い出したように訊ね、王が笑う。
「緑(ノク)花(ファ)にございます」
「緑―花」
 王が呟く。何故か、王が自分の名前―あくまでも仮のものだが―を呼んだ時、誠恵は自分の心臓が跳ねるのを感じた。
「良い名前ではないか。緑花、緑の花か。楚々とした花のようなそなたには実にふさわしい名だ。緑花、見たところ、そなたは刺繍ができ、教養も兼ね備えた人のようだ。これだけの刺繍をするとなれば、いずれ名のある家門の令嬢だと察するが、現実として、そなたは町外れで行き倒れていた。あのときのなりは、到底、名家の娘とは思えない代物であったが、あれは、一体どういうことなのだろう?」
 何故か煩くなる鼓動を抑えつつ、誠恵は息を小さく吸い込む。
 さあ、これからが腕の見せどころだ。
 誠恵は、いかにも辛そうな表情を作り、うつむいた。

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