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闇に咲く花~王を愛した少年~

第2章 揺れる心

 腹を空かせた弟妹たちが泣いていた―というのは、満更、全くの嘘というわけではなかった。こんなときでさえ、あのときの妹や弟たちの泣き声を思い出しただけで、涙が溢れる。これは偽ではなく、まさしく本物だった。
「―」
 王の端整な貌が強ばった。
「妓生に―、遊女になると、そなたは自分自身で母御に申したのか?」
 このひと言で、王の心に大きく揺さぶりをかけることができた。手応えは十分ありそうだ。
 誠恵はうなだれ、眼尻の涙をそっと拭う。
「はい、そうするしか他に私たち一家が生き延びるすべは最早ございませんでしたから。ですが、私の覚悟が足りなかったようにございます。私が身を売り、我が家に幾ばくかの金が渡り安堵したものの、いざ、客を取ることになると、怖じ気づいて逃げ出してきてしまったのです。妓楼を出てからというもの、追っ手に見つかって連れ戻されては一大事と、ずっと身を隠して逃げ回っておりました」
 だから、女官になりたいのだと、誠恵は真摯な眼で訴えた。
「こうして旦那さまにお逢いできたのも、御仏のお導きにございましょう。同じ親孝行をするなら、妓生に身を堕として身売りするよりも、後宮の女官となって国王殿下のおんためにお仕えしとうございます」
 女官になれば、家族の許にも定期的に米や金が支給される。
「なるほど、そなたが女官になりたいと望むのには深い事情があったのだな」
 王は納得したように頷いた。
「緑花」
 優しい声音で偽りの名を呼ばれ、誠恵は顔を上げる。
「あい判った。そなたの望みは聞き届けよう。伯父上は朝廷の実力者だ。私が頼めば、きっと、そなたを女官として後宮に入るように取り計らって下されるだろう」
「嬉しうございます。このご恩は、けして忘れません」
 あどけない笑みを浮かべて言うと、王の顔が一瞬、紅くなった。
「い、いや、たいしたことではない」
 誠恵の思考は目まぐるしく回転する。
 左議政は油断ならぬ男だ。あまりに身分の高い人ゆえ、この屋敷の懸かり人にすぎない誠恵は初対面の挨拶をしただけで、言葉を満足に交わしたこともない。だが、あの鋭い眼は、どんな些細な嘘や謀(はかりごと)でも見抜いてしまいそうだ。

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