
闇に咲く花~王を愛した少年~
第2章 揺れる心
正確に言うと、光宗はまだ幼かった慎(シン)誠(ソン)君(グン)と呼ばれていた時代、幼くして決められた婚約者がいたのだが、不幸にも、彼女は晴れの婚姻の日を見ることなく夭折した。光宗と同年のまだ九歳の幼さであった。
寿命をまっとうしていたなら、王子妃どころか、王妃にもなれる身だったにも拘わらず、病魔は無情にも少女の生命を奪い去ったのだ。
当時のこととて、婚約者同士ではあっても、互いに行き来することはなく、まともに話したことさえなかった相手だった。庶民であればともかく、身分が高ければ高いほど、婚姻というものは家同士、親同士の結びつきの要素が高くなる。両班では、祝言を終えて、新床に入るまで夫婦が互いに顔を見たこともないというのがむしろ常識である。
ましてや、国王の結婚となれば尚更だ。それでも、光宗は早くに逝った許嫁を憐れに思い、王妃を娶ることもなく側室の一人すら置かないでいる。
独身を貫こうとする若い王を、朝廷の重臣たち皆が懸命に説得しようとしたが、毎度ながら徒労に終わるのが常だった。
光宗の言い分としては、
―予に子がおらずとも、既に世子がおる。元々、予は王位を継ぐべきはずの身ではなかったのだ。世子が予の跡を継いで新たな王となり、その子孫が代々王位を継承してゆけば良いのだ。
と、極めて淡々と語っている。
光宗自身は、自分はあくまでも兄が亡くなったため、幼い甥が王位を継げる年令に達するまでの中継ぎにすぎないと考えているのだ。
しかし、朝廷の大臣たちの意見は違った。光宗の王としての優れた資質は誰もが認めるところであった。あまりにも不敬ゆえ、誰もあからさまに口にはしないが、兄の永宗よりも弟の光宗の方がよほど王の器としてはふさわしいのは明らかである。
彼等にしてみれば、海のものとも山のものとも知れぬ幼い世子よりも、既に〝この世に比類なき聖君〟と謳われる光宗に王妃を迎え、そのなした王子に王統を継承していって欲しいと願うのは当然だろう。
皮肉なことに、光宗の王位への執着のなさが余計に〝このお方こそ、王としてふさわしい〟と周囲に思わせるのだ。歴代の王の中には〝聖君〟と呼ばれた賢君も少なくはないが、そんな優れた王であっても、やはり人の子、親であり、一度王位につけば、我が子を次の玉座に据えたいと願った。
寿命をまっとうしていたなら、王子妃どころか、王妃にもなれる身だったにも拘わらず、病魔は無情にも少女の生命を奪い去ったのだ。
当時のこととて、婚約者同士ではあっても、互いに行き来することはなく、まともに話したことさえなかった相手だった。庶民であればともかく、身分が高ければ高いほど、婚姻というものは家同士、親同士の結びつきの要素が高くなる。両班では、祝言を終えて、新床に入るまで夫婦が互いに顔を見たこともないというのがむしろ常識である。
ましてや、国王の結婚となれば尚更だ。それでも、光宗は早くに逝った許嫁を憐れに思い、王妃を娶ることもなく側室の一人すら置かないでいる。
独身を貫こうとする若い王を、朝廷の重臣たち皆が懸命に説得しようとしたが、毎度ながら徒労に終わるのが常だった。
光宗の言い分としては、
―予に子がおらずとも、既に世子がおる。元々、予は王位を継ぐべきはずの身ではなかったのだ。世子が予の跡を継いで新たな王となり、その子孫が代々王位を継承してゆけば良いのだ。
と、極めて淡々と語っている。
光宗自身は、自分はあくまでも兄が亡くなったため、幼い甥が王位を継げる年令に達するまでの中継ぎにすぎないと考えているのだ。
しかし、朝廷の大臣たちの意見は違った。光宗の王としての優れた資質は誰もが認めるところであった。あまりにも不敬ゆえ、誰もあからさまに口にはしないが、兄の永宗よりも弟の光宗の方がよほど王の器としてはふさわしいのは明らかである。
彼等にしてみれば、海のものとも山のものとも知れぬ幼い世子よりも、既に〝この世に比類なき聖君〟と謳われる光宗に王妃を迎え、そのなした王子に王統を継承していって欲しいと願うのは当然だろう。
皮肉なことに、光宗の王位への執着のなさが余計に〝このお方こそ、王としてふさわしい〟と周囲に思わせるのだ。歴代の王の中には〝聖君〟と呼ばれた賢君も少なくはないが、そんな優れた王であっても、やはり人の子、親であり、一度王位につけば、我が子を次の玉座に据えたいと願った。
