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闇に咲く花~王を愛した少年~

第2章 揺れる心

 そのために、王位を巡っての血なまぐさい骨肉の争いが起きたのだ。しかし、光宗にはおよそ、そういった王位への執着がなかった。
 彼が考えるのは、明けても暮れても、民のことばかりだったのだ。光宗が敢えて王妃を迎えようとしないのは、無用な権力闘争を避けるためともいわれていた。
 誠恵の眼に、月を見上げる王の姿が映った。
 四阿に佇み、王は眺めるともなしに夜空を仰いでいる。王衣を纏った彼を見るのは、これが初めてであった。赤い龍袍は、金糸で天翔る龍を大胆に縫い取った王だけに許される正装だ。
 こんな時刻なのに、寛いだ衣服に着替えるわけでもなく、王は龍袍に身を包んでいる。
 王と間近に接するにつけ、誠恵は光宗という若き国王の人となりをより知ることができた。光宗は巷の噂以上の人物だ。
 穏やかな物腰と落ち着いた挙措は、何より、彼の人柄を表していた。時折、瞳に瞬く鋭い光は、彼がけして大人しいだけの男ではないことを物語っている。しかし、その眼光の鋭さが対する者に威圧感や恐怖感を与えないのは、相手を包み込むような大きさ、温かさが光宗の全身から滲み出ているからだ。
 到底十九歳とは思えぬ存在感は、既に彼が偉大な国王であることを示している。
 優れているのは何も内面だけではなく、容貌もまた〝緋牡丹のごとし〟とその美しさを謳われた母后仁彰王后ゆずりだった。愕くほどの長身で、武芸の鍛錬も欠かさぬ体軀は逞しく、気品と優美さだけでなく、精悍さも併せ持っている。整った容貌に王としての優れた資質、更には国王という地位―、これだけのものに恵まれている男は、どこを探してもいないだろう。
 そのため、朝廷の臣下たちは皆、己が娘を若い王の妻―つまり中殿にしたがった。いや、正室でなくとも、側室でも良いからとこいねがう者も跡を絶たなかったのである。それでも、王は、けして妻を持とうとはしなかった。
 光宗を知れば知るほど、誠恵の中に迷いが生じる。果たして、この輝ける太陽のような聖君を弑し奉ることがこの(朝)国(鮮)にどれほどの影響を与えるのか。そう考えただけで、あまりの怖ろしさに身が震えそうになるのだった。
 誠恵はわざと地面に落ちた枯れ枝を踏んだ。パキリと乾いた音が小さく夜陰に響き、光宗がハッとしたように振り返る。
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)」
 誠恵は、さも愕いた風を装い、その場で深々と頭を垂れた。

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