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闇に咲く花~王を愛した少年~

第2章 揺れる心

 〝任務〟を果たせなければ、領議政は自分を殺すだろう。また、約束どおり、何の罪も拘わりもなき家族にも魔手は伸びるに相違ない。たとえ自分の身はどうなっても構いはしないけれど、母や弟妹だけは守りたい。
 思い惑う誠恵の唇に、やわらかなものが当たった。その冷たい感触が何なのか、誠恵には初め判らなかった。やがて、自分の唇に押し当てられたしっとりとしたものが光宗の唇であることに気付く。
 愕くより先に、唇は呆気なく離れた。それを淋しいと思ってしまうのは何故だろう?
「ほら、予はこのように女には手が早い。そなたが思っているほどの聖人君子ではないぞ?」
 笑いを含んだ王の声に、誠恵はしばし見惚れる。
 夜目にも王の整った顔立ちがはっきりと判る。生まれてからこのかた、これほどまでに美しい男を見たことはなかった。
「だが、予が女にだらしなくなるのは、どうやら、たった一人―そなたを前にしたときらしい。他の女に心動かされたことなど一度たりともないのに、そなたを前にすると、私の心は妖しいほど波立つ」
 吐息のように耳に流れ込んできた言葉に、誠恵は小刻みにか細い身体を震わせる。
「構いませぬ」
 幾千もの夜を集めたような深い漆黒の瞳が自分を見つめている。その瞳に吸い込まれ、落ちるところまで落ちてゆきたい。
 そんな想いに、ふと、駆られた。
「他の女人にそのように仰せなのは嫌にございますが、私だけならば、よろしうございます」
 月光に浮かび上がった可憐な少女の顔が一瞬、妖艶な色香漂う女へと変化(へんげ)する。
「緑花、―好きだ」
 再び押し当てられた男の唇は今度は先刻の冷たさが嘘のように熱かった。
 息をつけぬほど狂おしく奪われる。一旦離れたかと思うと、また重なり、角度を変えた口づけは果てしなく続く。
 息苦しさに胸を喘がせた隙を狙ったかのように、男の舌が口中に忍び込み、逃げ惑う舌を捕らえた。舌と舌が絡み合い、唾液が混じり合う。淫猥な音が夜陰に響き、その淫らな音は誠恵の身体中に得体の知れぬ妖しい震えを漣立せた。
 誠恵の眼尻からひとすじの涙が流れ落ちる。

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