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闇に咲く花~王を愛した少年~

第2章 揺れる心

 どれくらい経ったのか、漸く口づけを解いた王は誠恵の涙を見つけ、ハッと衝かれたようであった。
「どうした、何故泣く? やはり、嫌だったのか?」
 誠恵はかすかに首を振った。
 自分でも正直なところ、判りかねたのだ。殺すべき相手に恋してしまった自分への哀憐の涙か、それとも、獲物をまんまと油断させ、自分の魅力の虜にしてしまったのが嬉しかったのか―。
 だが、計画どおりに事が運んだというなら、泣く必要はないはずだ。
 どうして、こんなに哀しいのだろう。
 どうして、こんなに泣けてくるのだろう。
 どうして、人生はこんなにも残酷なのだろう。十五年の生涯で初めて好きになった男が自分の殺さなければならない相手だなんて。
 まるで幼児をあやすかのように、光宗が優しい手つきで誠恵の背を、髪を撫でる。
 どこからか、夜風に乗って芳香が漂ってきた。そういえば、鮮やかな大輪の薔薇が池の畔に咲いていたのを今更ながらに思い出す。
 対岸に咲き誇っている花の匂いが水面を渡る夜風に乗って流れてきたのだろう。
 闇に咲く鮮やかな一輪の黄薔薇。
 誠恵の眼裏に、月華楼で見たあの光景がありありと甦る。
 薔薇を手にした領議政はこう言った。
―暗闇に艶やかに咲き誇る花となり、その色香で若き国王を虜にし、意のままに操るのだ。―そして生命を奪え。
 思わず両手で耳を塞ぎたい想いを堪(こら)え、誠恵は歯を食いしばる。
 私の任務は、この男を殺すこと。
 懸命に自分に言い聞かせる。
 一陣の風が二人の間を吹き抜け、薔薇の甘い香りがひときわ強く香った。
 今はただ何も考えず、この至福の一瞬に身を委ねていたい。
 誠恵は眼を瞑って王の逞しい腕に抱かれていた。

 すべては、誠恵の目論見どおりだった。若き国王光宗は、無垢な少女のふりを装った誠恵に夢中になっていった。

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