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闇に咲く花~王を愛した少年~

第2章 揺れる心

「予のために、辛い想いをしているのだな」
 光宗は誠恵を引き寄せ、その艶やかな黒髪を撫でた。今度は誠恵も逆らわず、大人しく王の胸に頬を押し当てている。
「そなたが正式な側室となれば、最早、そなたに辛く当たる者はおらぬだろう。さりながら、当のそなたがそれを望まぬのあれば、致し方ない。予は権力を楯に、そなたの身体を欲しいままにするような真似だけはしたくない」
「もし左議政さまが私を宮殿から追放せよと仰せになったら、殿下はどうなさいますか?」
 逞しい胸に唇を押し当て、誠恵の声がくぐもった。
「緑花、そちは予がこれほど申しても、まだ我が伯父上を愚弄するか」
 王の声が苛立ちと怒りを帯びている。
「申し訳ございませぬ。殿下のおん大切な伯父君さまを何ゆえ、私が愚弄など致しましょう。口が過ぎました。どうぞ、ご機嫌をお直し下さいませ」
 光宗がこれほど感情を露わにして憤ったのを見たのは初めてだ。寵愛を失っては元も子もないと、誠恵は引き下がった。
「判ってくれれば良いのだ。予はいずれ、そなたを妃に迎える。その暁には、伯父上もそなたの後ろ盾となって下されよう」
 実家が力のある家門であれば、その妃は後宮で時めく。光宗は誠恵を妃にした時、その後見役に左議政を据えようと考えているようだ。
 だが、そんな日は永遠に来ない。
 何より、自分は〝女〟ではない。この時、誠恵の脳裡に一瞬だけ、一つの光景が浮かんだ。
 光宗の妃として、きらびやかな衣を纏っている自分、二人にとっては想い出の南園を王と並んで微笑みながらそぞろ歩く―。
 もし、この身が女性であればと、これほど願ったことはなかった。たとえ領議政に送り込まれた刺客でなかったとしても、ただ男であるというだけで、もう自分は光宗にはふさわしくない存在だ。
 男である我が身が妃として光宗の隣に並ぶ日は来ない、来るはずがない。
 隙間から風が吹き込んできたのか、燭台の焔がちらちらと揺れる。
 誠恵の眼尻から流れ落ちた涙が白い頬をつたう。王がその涙の雫を唇で吸い取った。
 宮殿の夜は哀しみの予感を孕んで、静かに更けていった。

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