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闇に咲く花~王を愛した少年~

第1章 変身

「誠(ソン)恵(ヘ)」
 愛想も何もあったものではない。取りつく島もない返答であった。初めての客にこのような横柄な態度を取るなど、女将に知られれば、鞭で打たれるだけでは済まないだろう。が、誠恵には何故か、この男が自分の不遜な態度に腹を立てないだろうと判っていた。
 この男は少なくとも今の段階では自分を抱くつもりはなさそうだ。それよりも、自分に何かをして欲しいと期待しているらしい。
 その役目が終わるまで、この男が自分を罰したり傷つけたりすることはないだろうと漠然と予想できたのである。
「なるほど、実の名もなかなか良い。誠に恵まれるように―、そなたの両親は息子に誠実な男となるように願いを込めたのであろう」
 男は我が物顔に頷き、顎をしゃくった。
「その書物を開いてみなさい」
 誠恵は膝許に落ちた薄い本を拾い上げ、手に取った。
「構わぬ、そなた自身の眼で確かめるが良い」
 何げなくページを開いた誠恵は硬直した。
 薄っぺらな書物の最初に〝殺 孔(コン)賢明(ヒヨンミヨン)〟と墨の跡も鮮やかに書かれている。慌てて次のページをめくると、次には〝殺 光(グワン)宗(ジヨン)〟と同じように記されていた。
 が、面妖なことに、その次からは何も記されていない白紙が続き、結局、そこにあるのは二人だけの名前だった。
「これは」
 誠恵は唇をわななかせ、男を見つめた。
 眼前の男は不敵な笑みを浮かべている。
「これが何を意味するか、そなたにも薄々と察しくらいはつくはずだが」
 挑戦的な口調で唆すかのように言われ、誠恵は言葉を失った。
―この男は実に怖ろしいヤツだ!!
 もう一人の自分がしきりに警告していた。こんな男に近づいてはならない。この男はあまりにも危険すぎる、と。
「私には何のことやら判りかねます」
 誠恵が低い声で応えると、男が声を立てて笑った。自分の応えの一体何がそんなにも面白かったのか判らない。
 さも愉快そうに笑う男を、誠恵は醒めた眼で見つめていた。

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