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闇に咲く花~王を愛した少年~

第1章 変身

「空惚けるな。他の者は易々と騙せても、この私はそう容易くは騙されぬぞ。そなたは、ひとめ見て、これが何なのか判らぬほどの愚か者ではない。だからこそ、私はそなたに白羽の矢を立てたのだ。大事を成し遂げるのに、女では心許ない。ゆえに、幼いと言っても良いほど年若く、穢れなき楚々とした可憐な少女(おとめ)の風情、その裏には怖ろしき魔性を秘めた少年を私はずっと探してきた。ここの女将から、その役には打ってつけの者がいると連絡を受けたのが、もう五年前になる」
 誠恵は息を呑んだ。
 彼が月華楼に売られてきたのは五年前、十歳の春だった。では、この男は女将を介して自分の存在をその頃から既に知っていたというのか!
「そうだ、恐らく、そなたの予想は当たっている。私は、そなたが成長する間、じっと待っていた。そなたが私の手先となり、我が使命を私になり代わって果たしてくれるその日を待ち侘びていたのだ」
「もし、私がお断りしたら?」
 この男の話を聞いてはならない。今すぐに立ち上がり、この場を立ち去るべきだと理性がしきりに訴えている。
 が、この危険極まる男には、どこかしら魅惑的な翳りがあった。対する者をひれ伏せさせ、己が命令に服従せざるを得なくさせる何かをこの男は持っている。しかし、この男の口から紡ぎ出される話を一度耳にしてしまえば、二度と引き返せなくなることは判っていた。修羅の橋を渡るなど、さらさらご免だ。
 たとえ身体を売る暮らしに甘んじても、ここで真面目に年季明けまで働けば、自由の身になれる。晴れて解放されたら、真っ先に故郷の村に戻り、今度こそ両親や弟妹たちと共に暮らしたい。それが、誠恵のたった一つの望みであり、希望であった。
 こんなところで、うかうかと正体の知れぬ男の企みに乗せられたりするものか。
 誠恵が立ち上がろうとしたまさにその時、憎らしいほど落ち着き払った声が響いた。
「無駄だぞ」
 愕いて男を見た誠恵を男は感情の窺えぬ眼で見据えた。
「たとえ私の話を聞かずとも、この本を見た時点で、既にそなたの生命は我が手の内にある。私がこれを見たそなたをこのまま生かしておくとでも思ったか? たといここから逃げ出したとしても、そなたは明日の朝には、物言わぬ骸となり果て街角に憐れな姿を晒していることだろう」

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