テキストサイズ

闇に咲く花~王を愛した少年~

第1章 変身

「何故、何故、そのような卑怯な真似をする?」
 誠恵が怒りを込めた眼でキッと見返すと、男はまた低い声で笑った。全く癪に障る男だ。
「私は死ぬわけにはゆかない」
 誠恵が呟くと、男が大きく頷いた。
「そのことは十分心得ている。そなたが死ねば、月に幾ばくかの仕送りも途絶え、田舎にいる家族は飢え死にせねばならない」
 誠恵が眼を瞠った。
「お前は一体、何者なんだ? どうして、私のことを何から何でも知っている?」
 男が声を低めた。
「まず、名乗る前に条件を提示しよう。そうすれば、そなたの心も少しは軽くなるはずだ。どうだ、私の許に来ぬか?」
 誠恵が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「何だ、偉そうな口を叩いといて、結局は、私の身体が目当てなのか? お前の屋敷に住んで、男妾になれとでも言うのか」
 しかし、誠恵にも判っていた。この男がそのような低俗な望みを口にするはずがない。この男はもっと空恐ろしい陰謀をその黒い腹の中でしっかりと育てている。
 男がフフと低く笑った。
「腹にもないことを言うな。先刻も申したであろう。この私と駆け引きするなど三十年早い」
 ひとしきり笑った後、男がふと笑いをおさめた。その表情が俄に引き締まる。
 傲岸な態度を露わにしてきた先刻までよりも、誠恵にはむしろ今の彼の方が怖かった。
「私の片腕となって働いてみる気はないか? 私の期待どおりに見事役目を果たせば、そなたの一生の安泰だけではなく、そなたの家族の面倒も見てやろう。そなたの大切な父や母、幼い兄弟がけして飢えることのないよう約束しよう」
 突如として差し出された予期せぬ言葉に、誠恵は固唾を呑んだ。それこそ、彼がずっと望んできた、たった一つの願いであった。父や母、弟妹の蒼白いやつれた貌、痩せ衰えた体軀が瞼にまざまざと甦る。
 誠恵には三人の弟妹がいる。五歳離れたすぐ下の弟の次に七歳と三歳になる妹がいた。いちばん下の妹は誠恵が女衒に売られて都に来てから生まれたため、まだ顔すら見たことがない。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ