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闇に咲く花~王を愛した少年~

第5章 闇に散る花

 深い夜のしじまに、甘やかな香りが漂う。
 細い女人の爪先のような月が危ういほどの頼りなさで夜空を飾っている。
 誠恵は広大な宮殿の庭園、その奥まった一角にいた。ここは〝北園〟と呼ばれ、巨大な池のある南園とは別の場所になる。
 ここら一帯には緋薔薇が植えられていて、夜目にも鮮烈な色が際立っている。数千といわれる薔薇が一斉に咲き乱れると、濃厚な香りが立ちこめて何か匂いそのものに幻惑されてしまいそうでもあった。
 月明かりに一面の薔薇が照らし出されている。改めて自分の両手をしげしげと眺め、誠恵はあまりの怖ろしさに叫び出しそうになった。
 甘い匂いを撒き散らし咲き誇る薔薇は、禍々しいほど鮮やかな血の色。そして、今日、自分はまたしても、この手を血の色に染めようとした。最初は愛する男の、次は自分を一途に姉と慕う幼い王子の血でこの手を染めようとしたのだ。
 だが、結局、誠恵にはできなかった。光宗の薬に毒を入れることもできなかったし、幼い世子を手にかけることもできなかった。
 このままでは自分は〝任務〟を果たせず、自分と家族は孫尚善に殺される。
 焦りだけは募っても、誠恵に光宗を殺せるはずなどないのだから、道は八方塞がりに相違なかった。
 孫尚善は大きな誤算をしてしまった。それは、刺客として送り込んだ誠恵が殺すはずの男を愛してしまったことだ。よもや真は男である誠恵が同性の王を愛することなどないと思い込んでいたのか、それとも、役に立たなければ消せば良いだけの捨て駒として見なされていたのか―。
 そのときだった。背後から忍びやかな脚音が聞こえ、誠恵は身構えた。
 全身に緊張を漲らせて振り返ると、前方に立っているのは大殿内官、柳内官であった。
 この男は油断できない。いつか薬房で王の煎薬に毒を潜ませようとしていた時、この男に見つかった。正確にいえば、現場を見られたわけではないが、結局、柳内官の阻止によって〝任務〟は阻止された。
 光宗が無事であったことを思えば、柳内官には礼を言いたい。しかし、この男は当の光宗に誠恵が王の薬に毒を入れようとしたと報告した。国王に絶対的忠誠を誓う内官であれば当然のことではあるが、あの後、誠恵は光宗自身からその件について追及されたのだ。

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