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桜華楼物語

第2章 夜月

暫くの間、微睡んで。
微かな煙草の匂いに目を開けると。
少し開いた窓辺に、女の着物を羽織った男が外を眺めながら一服している。

女はゆっくりと身体を起こすと男に傍に。
座ってる膝元に寄り掛かると顔を寄せて。
私にも一服…と煙草をねだる。
まだぼんやりとしてる女の様子に笑顔になると。

すうっと大きく煙を吸い込む。
女の顎を上げて唇を重ね、煙を送り込んだ。

夏の夜の風が、遠くに聞こえる捕物笛の音を運んで来る。
煙の味と男の感触を楽しむように唇を舐めると、外に目を向けて。

「また何処かで捕物かねえ。この所、やけに多いのはあの何とかっていう泥棒の仕業かしら…」

今、江戸の町で話題になってる盗賊。
巷の後ろ暗い金ばかりを狙い、商家や武家屋敷など神出鬼没。
連日のように瓦版を賑わし、噂は吉原にも届いている。

「どうせなら、貧乏人にでも分けてくれりゃあいいのにねえ。」
ふとそんな軽口を言った女を抱き寄せながら男は空に目を向けて。

「そんな金を恵んでもらったって、所詮はあぶく銭だ。まともに身に付くもんじゃねえよ…生きた金は手前えで稼いだ金なのさ。」

「まあ…それもそうね。私は私のためにこの身体で稼いでる…。でもね、何だか今日は商売だって事をすっかり忘れしまったわ。そんなの、久しぶり…」

「嬉しい事言ってくれるねえ。そろそろ仕事を納めて江戸を出ようかと思ってたが…後ろ髪を引かれちまうなあ…」

軽く頭を掻き笑うと窓を閉めて。
女を抱き寄せたまま、また布団に戻り横たわり。

「姐さんが居るから江戸に残るってえのも、何だかオツなもんかもしれないね。益々もって、仕事変えを考えるか…」

「仕事を変えないと江戸には居られないのかい?」

素朴な疑問を投げかける女に、懐っこい笑顔を向けて。

「恵んでもらった金があぶくなら、人から盗った金はあぶくを通り越して霞みたいなもんだって。漸く俺もわかってきたのさ。そんな金をお前に使っちゃあいけねえや。…なあ、夜月」


穏やかな女の寝息が、男の腕の中で聞こえる…。



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