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桜華楼物語

第4章 桔梗

今日は彼が来る日。

人目を避けるように裏口からそっと入り。
夜が明ける前に、またそっと裏口から帰って行く。
何故そんな事をするかと言えば…。
彼は江戸中の人が顔と名前を知れた武士。
お奉行様だから…。

そして、私の許婚…だった人。

私と彼の家は隣同士。つまりは幼馴染。
彼と私と私の弟と、いつも一緒に過ごしていた。
彼と私の関係も、ごく自然なものとなった。

少年と青年の間の彼は…。
ある夜に塀を乗り越え、私の寝間に忍んで来て。
共に大人になった。

そして、穏やかで幸せな将来が待っていると疑わなかった。
あの日までは。

私の母は身体が弱く、私が子供の頃から起きたり寝付いたりの繰り返しで。
屋敷の奥の離れで静かに過ごしていた。
白い肌と消えそうに儚げな様子が、目が離せない風情を持っていた。

その日は所用で遠出をしていた父が、予定よりも早く帰宅をした夜の事。
きっと眠っているであろう母を起こさぬように、そっと忍び足で離れに向かい扉を開けると…。

父は信じられないものを目にしていた。

薄暗い明りの中で。
何人もの家来や使用人達に蹂躙されている母の姿を。

父の叫び声は母屋にいる私にも届いて。
部屋から飛び出そうとする私を、走って来た女中が止めた…。
お嬢様、いけません…出ては…なりません…

やっと振り切り庭に出たら。
父はまだ叫び続けながら刀を振り回して、返り血で赤鬼のような姿に。
庭の所々に刻まれた骸が横たわり。
離れから全裸の母が這いずりながら出て来たのだ。
闇の中に一際浮き上がるような白い身体は、無数の手跡と体液にまみれていた。

息を荒げて立ち尽くす父を見つけると、母は這ったまま近付いて父の足元にすがり。
焦点の定まらぬ瞳で見上げると、白濁した体液が付いた唇を開いて懇願した。

あなた…
早く…ください…奥まで…

父は両手で刀を握り直すと、大きく振り上げて母の上に思い切り下ろした。
白い身体は赤く染まり、ゆっくりと倒れた。

これは、夢…?

私は呼吸を忘れていたように息苦しく、父を呼びたかったが声が出ずに手だけを伸ばしていた。
父は私を見つけると泣きそうな、やるせない表情をして何か呟いた。

次の瞬間、その刀は父の首を切り裂いた…。

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