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カトレアの咲く季節

第8章 嵐

 目についた布の鞄にタオルや氷や果物を詰め込んで、アレクは花屋まで引き返す。
 途中でポツリと水滴が腕に当たった気がして、その足を早めた。
 
 アレクの知る限り、収穫祭に雨が降ったことはない。きっとそれも神の御加護なのだと思っていた。
 けれど今の空は、少しつついただけで泣き出しそうだ。

 あちこちから祭りの喧騒が聴こえる。朝はあれほどに心踊る景色だったのに、今は異国の物語よりも遠く感じられるのが不思議だった。

 飾り気のない木の扉は、花屋の裏口だ。両脇の壁に吊るされたプランターには、ランタナが手毬のような花弁をいくつも震わせていた。
 夏の盛りよりもずっと濃いその色合いは見事だけれど、アレクの心には響かない。

「ユナ!」
 遠慮がちに扉を開けた隙間からその名を呼ばわる。すっと音もなくライが現れて、扉を押さえながら「まだ寝てるよ」と微笑んだ。

 ユナが普段から寝起きしている奥の部屋で、長い髪を解いた彼女は寝台に横になっていた。
 先ほどまでと同じように、浅い呼吸を繰り返している。ライが顔を拭いてやったのか、紅を落とした唇が、冷たい色をしていた。

「着替えは?」
「僕は無闇に女性の身体には触れないよ。苦しそうだったから、腰紐は緩めたけれどね」
 ライは肩を竦めて答える。

 アレクはそんなライを追い出して、ユナの衣服に手をかける。
 看病してくれるときの養母の手つきを思い出して、ぎこちないながらも真似た。

 艶やかな肌は汗ばんでいて、触れると熱い。自分とは明らかにつくりの違う体の線に戸惑い、目を逸らしながらも、アレクはなんとかユナに締め付けのない寝巻きを着せる。

 気がつけば首の後ろにじっとりと汗をかいていた。

「アレク? 入るよ」
 タイミングを見計ったかのように声がして、ライが戻ってくる。
 ライは顔を赤くしたアレクを見て小さく笑うも、何も言わなかった。

 ただ一言だけ問う。
「君は家に帰らないのかい?」
 アレクは首を振って答えた。
「今日は、ここに泊まる。家には言ってきたから」
「そうか、それならよかった」

 どこか場違いなほどに明るい言葉に、アレクは怪訝に思って眉を顰める。
 そんなアレクに教えるように、ライは窓の外を見上げた。

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