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社会情勢のはなしっ

第17章 沖縄県石垣市登野城尖閣

尖閣諸島(以降、尖閣)※の経過を載せてみます。

※尖閣:魚釣島、ほか4つの島と岩などからなる島々の総称。半径200km以内に与那国島、石垣島、台湾等があります。


1895(明治28)年、日本が尖閣を沖縄県に編入。その際、周辺国からの異論なし。

1920年、中国(中華民国)から石垣市に宛てた感謝状(中国人遭難者を救助)に、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記載(中国が尖閣は日本領土と認めていた証拠)。

1945年、敗戦にて、アメリカが尖閣(沖縄県)を占領。

1969年、アジア極東経済委員会が、尖閣周辺海域に鉱物資源埋蔵の可能性を報告。

1972年、尖閣は沖縄本島とともに日本に返還。

同年、中共が尖閣領有権の主張を始める(当時は海底資源が目的→現在の主目的は、太平洋への勢力拡大)。

(1974年~中共軍が南ベトナム軍を攻撃、西沙諸島全域支配。その後、南沙諸島やスカボロー礁をベトナムやフィリピンから奪ったりと、南シナ海での支配拡大)

2008年12月、中国船が初めて尖閣領海に侵入。その後、幾度も領海侵入。日本漁船への執拗な追尾を繰り返し、漁業が充分行えず(尖閣の海は高級魚がとれる)。
また、尖閣北方にある日中の中間線上のガス田を中共が実用化。
これらに対し、日本政府は中国政府に何度も抗議。

2010年9月、尖閣領海での中国漁船衝突事件。

2012年9月、日本政府が尖閣の3島を国有化。

2020年6月、石垣市議会にて「石垣市登野城→石垣市登野城尖閣(とのしろ-せんかく)」と字名変更。実効支配を示したい石垣市の中山義隆市長だが、現在も尖閣には上陸できず(日本政府から許可がおりない)。

2021年2月、中共が海警法施行。
これにより中共が、
1.警備中のふりをしながら日本を挑発し、自衛隊出動(日本先制攻撃とみなされ、戦争責任追及の口実を与える→国連安保理へもちこみ、法的に尖閣を奪う)
2.遭難したふりで上陸し、尖閣占拠(占拠後の奪還はかなり困難)
を狙っている疑いが強くなる。

同年6月12日現在、尖閣周辺での中国船(うち1隻は機関砲搭載)が連日確認されていますが、日本国内の主なメディアではあまり報道されません。
対して中共は、国際放送や海外向けwebサイトにて、尖閣は中国が日本から守っている領土だと主張を続けています。

2021,6/12//

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