メランコリック・ウォール
第44章 夫の手
「ここに置いとくよ」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、手首を掴まれた。
「ちょっ…なに?」
「お前、今日も出かけんのか。化粧なんかして」
「…。」
ガサつくオサムの手から今すぐ開放されたい。
しかしその力は強く、私をさらにぐいっと引き寄せた。
こんなに顔が近づくのはいつぶりだろう。
「なあ…――」
気色悪い声で誘うように言い、唇を近づけるオサム。
「やめてよ…っ」
生暖かい手が、ストッキングの上から太ももを撫でた。
寒気のするような不快感に襲われる。
「久しぶりに…しようや?」
耳元で囁かれても、私は不快になる一方だった。
「やめてってば…!もう!離して!」
思い切り肩を押すが、オサムは「素直になれよ」とねっとりした口調で言う。
「無理よ。無理に決まってるでしょう…っ」
この場所で桜子ちゃんとの情事があったのだと思い出し、吐き気がする。
「桜子ちゃんと会えなくなったから、仕方なく私で処理しようってわけ?」
さっと立ち上がった。
「…ふん。」
オサムは諦めたのか大きな舌打ちをし、水を一気に飲んだ。
そして私が廊下に出る直前、「そんなにあいつがいいのかよ」と吐き捨てた。
「…そうよ。あの人がいいの。私とあなたは…もう元には戻れない。」
それだけ言うと戸を閉め、すぐに出かけた。
コンビニではキョウちゃんがタバコを吸いながら待っていた。
「ごめんね、遅れちゃった…!」
「ん、全然。メシどうする?」
体に、オサムのにおいが付いているような気がして落ち着かない。
目の前にいる彼の作業着姿は、夫とはすべてが違って見える。
酷使してきたであろう日に焼けた腕も、乾いた手のひらも、すべてが愛おしい。
その日はラーメンを食べに行き、買い物をさっさと済ませてアパートへやってきた。
ずいぶん手慣れた”お弁当スタイルの作り置き”を5つ、冷凍庫へしまう。
「本当は朝ごはんも、お弁当も作りたいけど…」
「ありがとな。今はこれで十分すぎるくらいだよ」