テキストサイズ

おにぎり短編集

第5章 夕暮れ


「胸ぐらをぐっと掴まれるような音楽ってあるよね」

病院の屋上で、彼女は笑いながらそう言った。大きな瞳、痩せたその体に似合わない言葉に、僕は息を飲む。

傾いた夕陽が、何にも焼かれていない、その白い肌を照らして沈んでいく。
虫の声がどこからともなく聞こえていた。日中の暑さはとうに影に身を潜め、静かに微笑むその笑顔は、闇に吸い込まれそうになる。
不安になって、咄嗟に彼女の手首を掴んだ。

『どこにも行かないでくれ』

そんな願いを込めて、ぎゅっと握りしめていた。



22歳になって、1ヶ月。
梅雨が過ぎて、やって来た夏。
こんなところで、彼女の誕生日を迎えることになるとは。ひと月前は思ってもみなかった。




思えば1週間前。

『大丈夫だから、検査だし』

笑顔でそう言ったきり。彼女は無機質な、白い大きな箱のような場所から、出られなくなった。
白い腕にいくつもできたアザに、気づかないフリをした。掴んだ手と反対側にある手に繋がれた管を、僕はまだ直視することができない。


1ヶ月後には、ここで立っていることもできなくなってしまうかもしれない。

それが、彼女から僕に告げられた現実。

正直、受け入れられていない。受け入れる気もない。実際そうなるまで、僕はきっと今のままの彼女しか信じない。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ