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おにぎり短編集

第1章 あいす


うっすらと、気持ち悪さがぶり返してきそうになって、彼の手を僅かに握る。
昨日、上司の手を叩き落としたことは、1ミリも後悔していない。

どんな言葉も受け入れる。彼にそう言われたような気がして、気づけばわたしは口を開いていた。

「……仕事、辞めたいな」

ずっと前から思っていたことを口にする。
彼が、わたしの手を両手で包む。さするように撫でながら、なんてことのないように、軽やかに言った。

「辞めればいいさ」

彼は笑っていた。顔は見えなかったが、気配で分かる。どこか寂しそうな雰囲気で、笑っていた。
緩んだ空気がわたしたちを包む。

「僕はこれ以上、君が傷ついて帰って来ないことを望むよ」

絞り出すような彼の声のあとに、衣擦れの音が大きく響いて、再度、のしかかるように抱きつかれた。
息が苦しくなったのは、彼の重さのせいか、込み上げてきそうになる涙のせいか。
わからないけれど、いまはその体温も重みも、全てが愛おしい。

ありがとう、と言おうとして、喉に栓がされたように、声が出なかった。喉の奥が苦しく、ぎゅっと閉まる。

「……だからもう、苦しい時に、ひとりでアイス食べないでよ。一緒に食べようって言ってたじゃん」

耳元に降り注がれる言葉に、今度は、ごめん、も言葉にならなくて、その代わりにぽつぽつと流れた涙が枕に模様を作った。
彼の体温が、わたしの肌に、肌から内側に染み込んでいくのを感じる。それがあまりにも心地よくて、ゆっくりと目を閉じた。

もう少しだけ、このまま。

朝日に満たされた部屋の中、静かに息をしながら、この時間が長く続くことを祈った。



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