あの店に彼がいるそうです
第14章 夢から覚めました
「来月で返済終わったら、シエラ辞めますね。俺」
篠田が俯き、数秒して溜め息を吐いた。
手に持ったグラスの冷たさに手が強ばる。
「……類沢が戻ってきたら」
暗い声で。
あるはずもない仮定のように。
ごくりと生唾を呑む。
「それは……いえ、それでもです」
やっと篠田がこちらを向く。
煙草を持った手など忘れたように。
「俺、夢から覚めました」
ぴくりと片眉が上がる。
「はい、そうだ……覚めたんです。元々あり得ないことばかりでした」
初めて訪れた普通の日々。
それが目覚まし、いやもっと強力な、起爆剤になったんだろう。
「歌舞伎町№1の類沢さんに出会って、三ヶ月。あっという間で」
「……だろうな」
「沢山辛かったし……怖いことも沢山あったけど、一生ないようなこともあって」
やばい。
泣きそうだ。
ぐいっと梅酒を飲み干す。
店が終わっても飲むのはあの人の影響に他ならない。
「知らない世界を見ました。皆さんが歩いてきた壮絶な過去も少しだけ見ました」
「卒業式の挨拶じゃないんだぞ」
「はは、そうですね」
束の間の笑顔。
そして沈黙。
篠田チーフとこれだけ話すのは、あの時以来だった。
あの人の過去を聞いたとき。
「……夢か。言い得てるなそれ」
「河南が言ったんです」
「ああ、あの彼女か」
「俺も、言い得てるって思いました」
「夢……そうだな。俺にとってもそうかもしれない。あいつは、俺の夢に必要な……オペラの」
言葉を切って口をつぐむ。
無駄を悟ったように。
悲しい顔で。
「くく……いなくなって気づくけどな、俺の未来の計画には常にあいつが含まれてたんだよなあ」
シエラの先。
未来の計画。
そばにいるはずのパートナー。
相棒。
「もし……」
ああもう。
仮定ばかり。
「もし、類沢さんが戻ってきたら、チーフはどうするんですか」
「さあ」
「え」
「わからない。だってそれはもう俺が知ってる雅じゃないだろうしな」
聞いては、いけなかったかもしれない。
そんな空気が満ちた。
「まあ、とりあえず顔以外を殴るか」
「えっ」
「一発くらいはな?」
ふっと笑って。
俺もつられてしまった。